演奏会が終わりました。
本番直前まで「あれも心配だなーこれも大丈夫かなー」と心配性の私は考えていましたが、実際は…
本番良かった!
怒涛の2時間、細かい事故はありましたが、全体で考えると皆さんの集中力が一番高まっていて、全部のエネルギーが集結できた本番でした。こんな本番をやれるなんて、本当にみんなすごい!
いやー、私もえらかった!よくがんばった!
やり切った感、そして皆様への感謝と尊敬の気持ちで、本当に幸せな一日を過ごしました。
打ち上げもとても楽しかったし、いろいろな話ができてすごく良かったです。
2次会は家で演奏会のビデオを見ていたのですが、皆さんが見ている間に寝落ちしてしまいました。
やっぱり疲れていたのでしょうか。最近は寝ている間もいろいろな事が心配で、途中で起きて寝られなくなったりしていたのですが、そのまま今日は朝までぐっすり寝られました。気持ちも緩んでいたのでしょう。
また次回の不定期演奏会、何をしようかなーと思いながら、今回のブログはここで終了です。
次回は「神も仏も極楽錠前」です。
例によって何も考えていません。また一から始めます。そして、次回もいろんなことがあるでしょう。次は、また同じではないのです。「新たなる旅立ち」を今回果たした我々に、また次なる試練が待ち受けているかもしれません。しかし、次の演奏会も必ずや素晴らしいものにすることを誓い、筆をおきたいと思います。
皆様、今回もお付き合いいただきありがとうございました。
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本日、最後のリハーサルが終わり、いよいよ明日本番です。
本日は、初めてブルーバードのバレエ合わせを行いました。
衣装も踊りもとてもかわいくて素敵!曲もリコーダーにとても似合っていてかわいいです!
ジゼルもとても雰囲気があって良いです!やっぱりバレエ女子のかわいさって、目を惹くものがあります。
前回のステリハでは口笛、ダンス、ナレーションが入りましたが、バレエも入っていよいよ本番ですべてがそろいます。
そして、リコーダーもやっと全員がそろって完全な曲になりました。
皆様、今日まで本当に厳しい練習、合宿、そのほか係のお仕事など、頑張ってきましたね。
団員はじめ、ご協力いただいたみなさんに本当に感謝申し上げます。
努力の甲斐あって、とても素晴らしい演奏会になること、間違いないと思います。
演奏にも、企画・演出も、プログラム、お土産などなど、普通のリコーダーの演奏会では味わえない驚きがあると思います。
そして最後にはやはりサプライズが…。
最近恒例になってきたから、皆さん飽きているかもしれませんが…。
ということで、明日をお楽しみに!会場でお待ちしております!
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あと3日で演奏会です。今日はステリハの録画を見て、本番に向けてのイメージを高めました。
ステリハでは全体の流れが確認できて、出入りなども含めて、スムーズにできるようになったと思います。
一方で、演奏の細かいところでまだできていないところが散見され、いよいよ本番まで頑張らねば、と思った次第です。
やはり聴きあうということが大事ですね。もちろん、楽譜の通りに吹けることも大事ですが、この時期になってくると、いかに全体の音楽に合わせて演奏できるかということを、自分で認識して修正をかけるということが必要です。
本番でも自分の音だけ聞いていると、周りとの関係がうまくいかなかったりしますね。
なんていうか、周りも見えつつ自分の演奏も聞こえている、というようなそんな状態に持って行ってもらえるといいなー。
焦っていると周りが見えない、ってことは良くあります。本番なんかそうなりがちですが、一方で、本番の演奏に集中して、その結果自分の演奏もクリアにでき、周りも聞こえるという理想的な状態になることがあります。いわゆる、「フロー状態」ってやつですね。この状態を目指して、演奏に集中していきたいと思います。
あともう少し、頑張ります!
]]>極楽錠前のKすがです。
あと3日で第11回演奏会です!楽しみです。
皆様にぜひご来場いただけたら、うれしいです。
さて、人間は習慣の生き物で、練習や勉強、体力作りなども、習慣にしてしまうと苦痛なくできるようになります。
何かやらなければいけなくなったときは、まず1日1分だけでもやると良いです。
毎日1分やるのなんて、簡単です。それを1週間、2週間と続けると、1分だけではすまなくなってなんとなく長くなったりします。
でも長くなることは大事ではなく、毎日続けること。
そうすると、やらないことが気持ち悪くなってきます。習慣化です。
習慣化すると、苦痛なく続けられ、知らないうちに上達したり完成形に近づいていきます。
まずは1分、何かを始めてみませんか?
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その昔、ソクラテスは他人と議論をしているときに「無知の知」について語った。
自分は何でも知っているわけではないが、自分は何か知らない、ということを知っている。
それで、「自分が知らないこと」=「無知」であるということを知っている = 「無知の知」なわけですね。
これが結構偉いということは、最近になって、しみじみ感じることができるようになりました。
自分自身が、謙虚に「これは知らない」と思えることはとても重要だと思います。
会社でも、役職が偉い人、年齢が上の人は「知らないと言えない」ことがあるようですが、これは周りにとっても本人にとっても不幸なことのように思います。「知らないと言えない」ことが不幸なのに、それをやめられない。周りに「知らない」という顔ができない。そんなことがあるような気がします。
なんででしょうね?
そういう人は、「知らない」と言うことが、まるで何かに負けた、とか、劣っているという風に思うからかもしれません。
知らない、ということは、知らないというだけです。人間、すべてのことを知ることはできませんし、人によって経験できることも違います。得手不得手もあります。だから、知らないということにそれほど負い目を感じる必要はないはずです。でも、負い目を感じてしまうのは、年長さんになってきて、役職も偉くなってくると、すべてにおいて自分が他人より勝っていると信じたくなってくるからかもしれません。
そうなってくると、知らないことも知っているようなふりをして会話をせざるを得なくなり、周囲はそんな本人の状況に気づいていながら、注意することもできない…。なぜなら、その人が一番嫌うのは、他人に(特に目下の人間に)「知らないこと」を指摘されること、それでまるで恥をかかされた、と思うこと、だったりします。あー、なんだか、とても面倒くさいことになっていますよね。
こういう心理はどこから来ているのか、やや疑問に私は思うのですが、昔から年長さんを敬うべき、とか、3歩下がって、ということわざがあるように、人間は「メンツをつぶされる」のが一番嫌なのかもしれんなーとも最近思っています。なので、逆に言えば、若手が「メンツをつぶさないで、年長さんに上手いこと教えてあげる」みたいなテクニックがあると、年長さんも喜んで乗ってくるのかなーと思います。
ただ、あんまりこういうテクニックばかり考えても、私は面白くはないのですがね。ぜひ、年長さんには率直に「知らない」と言えるようになることを望みたいですし、若輩者はあまり物おじしないでいろんなことが言える世の中であってほしいと思います。「知らない」と言える年長さんは、「これこそ偉い人!」と私は思いますし、逆に「知らない」と年長が言うのを聞いても馬鹿にしない若手であってほしいと思います。
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極楽錠前のKすがです。
山の日、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
夏と言えば、海、山、バーベキュー、スポーツ、ビール、スイカなどいろいろ思いつきますね。
夏場もリコーダーの練習なんて、考えられない方もいるかもしれませんが、我々極楽錠前は演奏会に向けて絶賛練習中です。
16分音符で早いパッセージなど、リコーダーをどのように練習すると良いか、というと、
「左手親指外し」
が効きます!
とくに、レミファミレミファミ、のような左手の中指、人差し指、薬指のクロスフィンガリングが出てくるパッセージ、
これは左手親指を外して練習し、その後左手親指を付けてみるとすごく良くできる場合があります。
リコーダーの演奏の際、左手の親指はついつい力が入ってしまいます。
左手親指はリコーダーを支えたい、という感覚になってしまうことや、人差し指+親指または中指+親指でリコーダーを
持ちたい、という感覚になってしまうことがあるからです。
この感覚をなくして左手親指を柔らかく、動きやすくするために、いったん左手親指を離して練習します。
このことによって、ほかの指の力も抜けて、その結果全体的に指の動きが滑らかになります。
指が動かないと、動かすためについつい力んでしまいがちですが、指の力を適切に抜いてあげることが
結果としては滑らかな動きにつながるのです。その力の抜き方を複数知っておくと、自分がうまくできないときに
力を抜きながら練習することができるようになって良いですよね!
あと6日で演奏会です。
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バッハのコントラプンクトス9番のステリハの演奏を共有します。
本日はステリハでした。いよいよ本番まであと1週間になり、演奏だけではなくステージ全体の練習を詰めています。
なんかねー、良かったよ、今日は。
本番がめっちゃ楽しみになってきました。
先週いろいろ懸案事項がありましたが、それもだいぶ改善され、あともう一息のところになりました。
今日はお土産(演奏会の時に配るお土産)も届き、これがまたいい出来で…。
あー本当に本番が楽しみです。
ぜひ皆さんに聞いてほしい、見てほしい、感じてほしい。
演奏する喜び、踊る喜び、歌う喜び、口笛の、演技の喜び、生きる喜びを!
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極楽錠前のKすがです。
先日、私がCSR関係の仕事をしていてSDGsなんかにも関わっているというお話をしました。
その関連の話ですが、今日は気候変動の話です。気候変動と言うと、だんだん二酸化炭素が多くなり、地球温暖化が進んで、災害が多くなってくるとか、「地球温暖化対策のための税」という名前の税金がかかっている、その税率が上がるかも?などという難しめの話もあるのですが…。今日はそういうメンドーな話ではなく。
職場の若手A,B,C(と言っても30代前半〜後半)と、気候温暖化が企業に与える影響について、ブレーンストーミングをしていた時の話です。
地球温暖化で何が起こるか?
A「うーん、正直言って、よくわかんないんすよねー。地球温暖化って。単に暑いっていうか」
Kすが「まあ、そういわずに想像力を働かせて」
A「例えば、工場で爆発事故が多くなるとか」
C「え、なんで?」
A「暑いんで、爆発するんすよ」
B&C&Kすが「???」
A「爆発しないっすか?」
B「だって、10度は上がらないと思うけど。なんでそんなんで爆発するの?」
C「じゃあ、津波が起こるので、防波堤が必要です」
Kすが「防波堤ねー」
C「防波堤が必要ですよね。全世界の海岸沿いに全部防波堤作りますか」
A「防波堤、これで大丈夫です!」
B「AさんCさん、なに馬鹿なこと言ってるんですか!そんな弱気な意見聞きたくないし、馬鹿っぽいんですけど!」
いやあ、なんつうか、もう、3人3用に素敵で楽しくて!
こういう人たちは、なるべく勉強しないで、その素敵さをキープしてほしいと思ってしまう私でした。こういう、その人の考えていることが出てくる発言、文章って好きさ。
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極楽錠前のKすがです。
毎日暑いですね!皆さんは、暑い時にどう過ごしていますか?
TVでも言われているように、室内では適切に冷房を使って熱中症にならないようにするのが大事。
外出時はこまめに水分を取って、汗をかいて体の温度を下げる必要がありますね。
私は昨年の夏、食品用の保冷剤を使って外出時に体を冷やしていました。
保冷剤を手ぬぐいに入れて、首に巻き付けると、外出する時でも首回りと頭が冷えて、快適です。
長時間外出の場合は、大きめの保冷剤を使うと長持ちします。
世の中には専用のスカーフ、マフラーが売っているようですが、別に専用である必要はなく、
手ぬぐいで十分だし、手ぬぐいだと汗を拭けるのでこれも便利です。
最近は可愛い柄の手ぬぐいも売られているので、服装に合わせることもできそうです。
今日も暑いので、熱中症にならないように気を付けてくださいませ!
]]>極楽錠前のKすがです。
演奏会まであと10日、です。
プログラム、お土産作成など精力的に進んでいますが、演奏面では…。
皆さんいろいろ事情がありますが、これから10日、頑張って練習していきたいところです。
脱力しつつ、曲全体の流れと、自分のパートの状況を考えて練習していきたいですね。
脱力には自分の体の状況をモニタリングすることが大切です。
自分の体の状態を知るのは、実は難しいことです。何度も意識を向けてみて、それで何となくわかることもあります。
ぜひ、自分の体に意識を向けてみてください。
今週土曜日はステリハです。それまでに自分ができることをやっていきたいと思います。
]]>極楽錠前のKすがです。
毎日暑いですねー。今週になって急に暑くなり、ややへばり気味です。
とはいえ、運動していると、汗が出やすくなっているらしく、熱中症にもなりにくいらしいですよ。
軽いウォーキングなどから始めてもいいかもしれませんね。
本日ご紹介するのは、正義の教室 善く生きるための哲学入門。
飲茶 著、ダイヤモンド社発行
最近よくありがちな、学問のおまとめ本です。倫理についてのすごく大雑把なまとめを、4人の学生&先生のやりとりで解説するという本。功利主義、自由主義、宗教主義と構造主義を、すごーくシンプルかつ分かりやすく説明してくれています。
倫理学には興味があり、いままでずいぶんいろんな本を読んできましたが、結構途中で挫折が多かった。倫理学の本は、概して用語が難しく、かつ独特の言葉遣いをする人が多い。また訳本などは、やはりその世界のことを理解している人が訳さないとわけがわからないのですが、倫理学というのが独特の言語体系があるような気がしまして、どうしても途中から何を言っているのがわからなくなってしまう場合が多かったのです。
たぶん、倫理を考える方というのは、ち密に考えて、様々なことを考えていくうちに、例外や言い訳や、様々な状況での考え方の違いを細かく説明することになってしまっているように思います。そうすると、どんどん表現が複雑になりわかりにくくなる。かつ抽象的なことが多いので、とても解釈が難しいのだと思います。
この本は、そういったことが一切ありません。私の好きな、「まじめな人が考えすぎているうちにすっとこどっこいになってしまった」、という例まで紹介してくれて、楽しみながら倫理学を学べる、正義とは何かを考えられます。
例えば、功利主義といえばベンサムの「最大多数の最大幸福」ということが有名ですが、ベンサムはこの考えに取りつかれた挙句、幸福測定機械というものを作ろうと思ったこともあったようで、どうやったら人間の幸福が定量化できるか真剣に考えていたようです。また、当時、キリスト教社会で最後の審判による復活が信じられていたにもかかわらず、「医学の発達には、死者の解剖が不可欠だし、死体は痛くないのだから、死体は全員解剖できるように法律を作ろう」という活動もしていたそうです。自分自身が死んだときにも、もちろん解剖に遺体を提供したそうです。その後、ミイラにしてみんなに見せることも、みんなのメリットになると考え、死体はミイラ化させ、大学の会議室にイスに座った形でベンサムは今も存在しているとのこと。残念ながら頭がもげてしまったようで、しばらく前まで、頭は椅子の横に置かれていた、というシュールな状況が続いていたそうです。
他の自由主義、宗教主義についても、とても分かりやすい説明がされていますので、是非一読を!
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極楽錠前のKすがです。
昨日、自分の中でずっと続いている感情が違和感である、ということを書きました。
いろんなことが腑に落ちない。腑に落ちるまで相手と話せることがない、ということが一番の原因かもしれません。
社会はいろいろな「プレ・インストール」した考え方が、OSとして存在していると思うのです。これを「プレ・インストールアプリ」としておきます。
例えば、「人に迷惑をかけてはいけない」とか「法律に従う」とか「身近な人になら甘えていい」とか、「上司には逆らえない」とか。(私はそうは思っていないことが多いですが)
ここにあげた以外にも、いろいろな「プレ・インストール」された考えがあると思うのです。「プレ・インストール」された考え方は、時代や地域や個人の経験によって異なるでしょう。おおむね、社会生活を円滑に送っている方は、多くの方が持っている「プレ・インストールアプリ」と共通であるだろうと思われます。
で、OSと同じで、各々の心にインストールされた「プレ・インストールアプリ」は、ほぼ意識しないで動きます。すべての実行アプリの基礎となるものですから、それ自体の意味合いをいちいち考えていては、作業が滞るのです。OSがマウスの動き方やクリック時の動作や、作業環境を整えてくれているから、私たちがすいすい仕事ができるように、「プレ・インストールアプリ」が私たちの心にインストールされているので、私たちは何かあった時にすぐに反応できる。
というか、反応はできるけど、考えていない場合すらあると思います。
「プレ・インストールアプリ」は便利なので、その人の考えるコスト(脳みその力)や時間を削減してくれます。また、繰り返し実行してきたことなので、「当たり前感」が伴い、そのことによって自信が持てることもメリットです。
ところが、コスト削減効果によって、「なぜ?」と問うことがなくなってしまうような気がします。「家族を大切にする」「なぜ?」「戦争はいけない」「なぜ?」「他人に迷惑をかけないように」「なぜ?」
確かに普段から、こんな問いをしていると、ひとつひとつの作業に時間がかかって仕方ありません。だから普通の生活の中でこういった問いを発することはなくてもかまわないのですが、では、誰かと話し合う時はどうでしょうか。「プレ・インストールアプリ」に常に従っている人は、そういった問いに対して、「それは当たり前だろう」「考えたこともなかった」「法治国家だから」という思考停止的な答えしか出てこないことに陥りそうです。
で、私はこういう時に、たまらない違和感を感じるのです。
自分に「プレ・インストールアプリ」がないわけではないのですが、もともと私にインストールされたアプリが他人と異なるものだったらしく、そもそもいろんなことに「なぜ?」と問いたい気持ちがあります。しかし、それ以上に、なぜ他人がある考え方に腑に落ちていなくても、その考え方に従っているのか、というのがとても不思議なのです。「当たり前だろう」というなら、なぜ当たり前か説明してほしいし、「考えたこともなかった」というなら、今から考えてほしい、と思ってしまいます。
自分では、なぜ、こうなっているのか、腑に落ちたいのです。
世界がどうなっているのか、人は何を考えているのか、知って腑に落ちたいのが自分のようです。
その大本(おおもと)になっているのが、他人や自分の「プレ・インストールアプリ」に対する違和感であり、それに対する他人の反応でもあります。
もちろん、誰かと話をしていて腑に落ちる場合もあるのはあるのですが…。頻度がどうも低いのか…。
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人間、仕事でも趣味でもうまくいくときもあれば、そうでもない時もあって、日々、気分は変わるものです。
気持ちが不安定なこともあり、変に自信がある日もあります。
ただ、主にその人が持っている、というか、その人を覆っている気分というのは、長い時間の中で変わっていくことはあっても、短期間で変わるわけではないようです。例えば、気難しい人は主に不機嫌な気分で覆われていることがおおいでしょうし、楽観的で明るい人は陽気な気分でいることが多いでしょう。
では、私は、というと、以前(といってもだいぶ昔、子供の頃)は悲しい気分だったり怒りだったりが多かったように思います。いまはそれほど悲しみに包まれることはないですが、それほど楽観的でもなく、心配性ですし、楽しい気分が続くというよりは、フツーでテンションが低いことが多いです。
それにもまして多いのは、実は違和感です。自分がどうも、この世界の異分子であるような気がしている。それは、小さい頃からずっと持っていて、今も持っているものです。家族や学校や会社や趣味の世界や、とにかく、いろいろいろいろ、違和感がある。別に、慣れていることなので問題があるわけではないのですが、どうしても世界になじめないような気がしています。
中高生の頃なら、いわゆる「厨二病」という解釈もできるのでしょうが、(例えば自分だけが世界に選ばれた人間だ、とか、選民意識いっぱいの解釈もできるでしょう)残念ながらそういう気分ではなく、なじめないと思うだけです。正直、何を人が考えているかわからない。自分の考えていることを話しても理解してもらえている気分がしない。
例えば、家族や宗教や会社が大事などの、いろいろな価値観がわからないです。自分の遺伝子が大事だったり、死が恐怖だったりすることも、なんとなく他の人と違う感覚があります。ただ、そういうことも、ちゃんと話せる人が少ないので、違和感だけが高まってしまうのです。
そういうのは厨二病の延長線上なのかもしれませんが、どうしても自分の中で違和感がぬぐえないでいます。みなさんは、世界とつながっているように思えますか?私にはよくわからないのです。
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昨日は極楽錠前の練習でした。演奏会まであと1か月を切り、いよいよ練習も大詰めになってきました。
しかし、毎回思いますのは、練習は裏切らないってことです。
練習をやればやるだけ成果が出ます。もちろん、適切な練習が必要ではあります。
たとえば、16分音符の早いクロマティックスケールは、リコーダーにとって結構難しいですので、やはり練習は必要です。
細かく早い音符の連なりをうまく吹くには脱力が有効な練習であるのは間違いないですが、それ以前に、練習する時間は絶対必要です。
音楽的な練習ももちろん必要で、フレージング、テンポ、アーティキュレーションなど複数の要素を適切に表現できるには、やはり何回も練習する必要があります。
結局、我々アマチュアは、練習しすぎたり、練習しても上手くならないくらい練習できることはほとんどなく、練習すればするだけ向上するように(今のところは)思います。
ですので、今、まだ課題を感じている極楽錠前メンバーは、ぜひ個人練習をしていただけたらと思います。
みなさんお忙しいですし、時間もない中ですが、演奏会まで最後のあがきってことで、頑張っていきたいなと思います。
ちなみにプログラムもそろそろ大詰めですし、今回のお土産も頑張って制作中です。
プログラムは例によって16ページのボリューム!ぜひ本番でお楽しみいただければ幸いです。
]]>極楽錠前のKすがです。
仕事の関係でSDG'sについて考えることが多いのですが、みなさんSDG'sはご存知でしょうか?
Sustainable Development Goalsの略で2030年までの、全世界の目標です。人類が発展していくために、解決していきたい課題、とでも言いましょうか。17個の課題から構成されていて、例えば、「貧困の撲滅」や「十分な食料」「きれいな水とトイレ」「海洋地域の環境保全」などの課題があります。国連が、持続可能な開発を目指し「だれ一人取り残さない」目標として、SDG'sを掲げています。企業の目標を定める際にも引用されることが多いもので、最近はTVコマーシャルにも出てくることがあります。
なんだか難しそうですが、私としては21世紀の心のよりどころになるものかもしれないな、と思っています。
心のよりどころ…という言葉と、前段の説明がそぐわないような気がする方もいるかもしれませんが…。少し説明が必要ですね。
人間は、意識が芽生えてしまったころから、心のよりどころが必要だったように思います。例えば、死の概念が理解できた頃から、墓や弔いの儀式が発生してきたと言われています。親しい人の突然の死を受け入れ、自分の心の動揺を少なくする、あるいは自分の死を予感しても安心しているためには、よりどころとなる考え方(例えば、死とは来世への旅立ちである、とか、いつかその人たちが復活する等)が必要だったのだろうと思います。長いこと、宗教というものが心のよりどころの役割を果たしてきました。が、産業革命以降、神は死んだ、という考えも出てきました。死んだ、というのはもちろん比ゆ的な意味で、神の存在に人が意味を見出さなくなったということだと思います。つまり神は心のよりどころではなくなった。
それ以降、経済というものが心のよりどころになってきた地域は多いかもしれません。戦争が多発したのも、経済を追求してきたからのように私には思えます。また、日本では社会規範、自分のコミュニティの保護、家族という心のよりどころが強かった時代があったように思います。科学というのがよりどころにもなってきたでしょうし、宗教が相変わらず心のよりどころであることも多いと思います。とはいえ、どれも限界があって、人類が全員で信じるに値するものは、21世紀になって存在しなくなってしまったのだと思います。
SDG'sはその中で新しい提案なのかもしれないと思います。国連という世界機関の中で、人類ってこういう方向に行った方がいいんじゃないか?という提案です。で、それが正しいかどうかわからないけど、それを目標にみんなで進んでいこう、という心のよりどころになりうるものです。
そもそも、自分以外の人がどうあったところで、「知ったこっちゃない」という考え方があってもおかしくない。
そんな中で、国籍も人種も関係なく、「だれ一人取り残さない」なんて考え方は、今までの世の中ではなかったかもしれません。こういう課題を、全世界で解決していこう、みんなを巻き込んでそういう世界を作ろう、なんて、宗教がかっているように思いませんか?国連がやってきたことは、この考え方を「グローバル・スタンダード」にして、国や企業の力で個人の考え方を変革しようとしてきたことだと思っています。みんなの心のよりどころを変えてきたんだな、と思うのです。
とはいえ、私はこれは悪いことではないと思っています。人間、何かしら心のよりどころは必要なんです。自分のやっていることに意味を見出し、自分の周辺や世界に何かしら貢献し、自分の生き方に満足して行きたい。そういう中で、宗教も経済も心のよりどころにならなくなったところに、SDG'sというこれからの目標ができたというのは喜ばしいことのように思います。実際、世界の役に立ちそうな目標だしね。最近は、グローバル・スタンダードってことで、知っていても損はないことになっております。
ま、そんなことでご興味ある方は外務省のサイト↓へ。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html
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以前のブログで、昨年他人の話を聞く練習をしたという事を書きました。
人は、ある程度他人に話を聞いてもらった方がいいらしいし、できればそれは互恵的であると良いですよね。話を聞いてもらうのは、とても癒やしになる場合があるようですが、でも、聞く方も癒される場合があります。
不幸な例というのは、話を聞いているようで、話を聞いてない人に、聞いてもらう場合です。お互い面白い雰囲気だけど、勝手に自分の話をしてるだけで、聞いちゃいないっていう。割と世間にありがちなパターンでもあります。
このパターンに陥ると、話を聞いてもらえない不満が溜まってしまい、むしろストレスが高まるという事になります。で、話をしてる方は長話になるは、繰り返しは多くなるは、聞いている方は飽きてくるは、話をしてる方も聞いている方も不幸になります。
こういう時は、聞く方はとにかくちゃんと話を聞く事が大事です。あまり口を挟まず、相手の喋るペースで話させてあげる。特に悩んでる人は、話がいきつ戻りつになりがちなので、話を整理しつつ、相手が何を考えて感じているか、フィードバックします。
うまくいくと、相手は自分が本当はどうしたかったのか、自分で理解できるようになり、お互いがスッキリした感じになります。この過程では、聞き手のアドバイスや独自の意見はほとんど必要なく、話し手、語り手がどう感じてどう考えているか、を理解することだけで充分です。というか、アドバイスや独自の意見はむしろ邪魔なくらいです。
聞き手は、ただ、相手が自分の考えている事を捉えて、「こういう事を、感じて考えているんですね」と言うだけで、とても相手はスッキリして、お互いに理解できるという感じになれます。聞き手は、ほかに何も言わなくても、充分癒されます。
こうなると、なぜか、話し手も前向きになったりするんです。
他人と話して、イライラする時には、こんな事を思い出してみてください。ちゃんと聞ける、わかってもらえると、お互いスッキリするみたいです。
]]>極楽錠前のKすがです。
変な時間に目覚めて、寝られなくなってしまうことがあります。
不眠は、年齢のせいとか、PCやスマホの見過ぎ、ストレス、飲酒など、いろいろ理由があるようです。
自分の場合は、どれも当てはまってしまうのですが、自分なりに振り返ってみると、ストレスが強い時に寝られなくなっている気がします。年齢もそれなりだし、会社でPC見っぱなしだし、飲酒は頻度が多すぎて…、って毎日不眠するしかないじゃないか!ですが、何か嫌なことや気になることがあり、ろくでもないことを考えて、眼が冴えてしまうってのは、やはりストレスなんでしょうね。
とはいえ、良くありがちな人間関係のストレスというのは、ここ最近ずいぶん頻度が減りました。
嫌いな人とは適度に付き合う、ということと、他人は自分が思うようには動かないということが、ある程度わかったからかもしれません。私はもともと他人に対する期待度が高かったようで、そういう時ってストレスが多いですよね。
とはいえ、いまだに私は期待を持ってしまう人がいます。それは組織の中で立場が上の人や、威張っている人に対してです。
まあ、会社で他人よりお金をもらっているならしっかり働け、威張るくらいならちゃんとやってみろ、と思ってしまうわけです。
で、残念ながら、その人たちが大活躍していたことを、私は知らなかったりするんですよね。実際大活躍していたのかしていないのかわからないので、他の人と同じようにフツーに尊重する以上の感覚を、私は持てないのです。立場が上だからって、何でも言うことを聞く、とか、その人の言ったことが何でも正しいとは、まったく思いません。理由が明確でやる必要があると感じられたことを言われたらやる、という感覚です。立場が上の人でも、おかしなことを言われたと思ったら、反対意見をフツーに言います。
で、変なプライドを持っている人だと、そういったフツーの対応をされると、機嫌が悪い場合があるようです。俺至上主義というか、立場が下の人に少しでも反対されると、個人的に攻撃を受けたように感じるのでしょうか。自分が大事にされていない感覚を持ってしまうのかもしれません。だんだん年をとって、組織の中で自分の立場が上になり、自分の意見に異を唱える人が少なくなってくると、そういった精神状態が当たり前になってしまうのかも。ちょっとしたことで、機嫌が悪くなって、無理難題を押し付けたり、弱い人にあたったりしている俺至上主義者がいると、自分がターゲットになっているわけじゃないのに、ストレスを感じてしまったりします。
たぶん、私は俺至上主義者から、直接的に被害を被ることはないと思います。なぜなら、そういう加害者は被害者になりやすい人を直感的にかぎ分けているからです。自分の言うことを聞いてくれそうな人、自分の立場が上であるということを、無条件で受け入れそうな人を無意識で探しているから。その条件に私は当てはまりません。
そういう人から被害を受けることも、その人自体に期待することも、私はないのですが、その人を上の立場に置いている組織に怒りを感じ、ストレスとなっています。自分が被害を受けないからと言って、それで問題ない、と思えないです。
…と、ここまで書いてきて、自分が被害を受けなければそれでよい、と思わないことも、一つ健全な考えであるような気がしてきました。緊急避難的に「自分に被害がなければOK」と思うことは当然ですが、ずっとその状況下にいるのは不健全でしょう。健全であるがゆえに、ストレスを感じるのであれば、それはある程度仕方がないことなのかもしれません。
ストレスが全くないことはあり得ませんし、正しくストレスを感じて、適切に対処できるようになっていれば良いんだなと思います。
でも、やっぱ俺至上主義者は、組織の上の方にいてほしくない!
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合宿が終わり、いよいよ本番まであと1か月ということになりました。 本番で感じるのですが、人間は焦ったり疲れるとテンポが速くなりますね。 合宿の最終日、通し練習をしましたが、どんどんテンポが速くなりました。
これはやっぱり、何かしらの原因があるんでしょうね。帰りの電車の中でA子さんが言っていましたが、 「疲れて息が上がってくると、みんなどんどん速くなる」 ということも原因の一つでしょう。
心理的な焦りが実際の演奏のテンポに反映されるということもあるでしょう。
もう一つ、モニタリングができなくなるということも原因の一つだろうと思っています。
疲労や焦りから、脳みその能力が少しダウンする→モニタリングの機能が下がる→自分の状態をモニタリングできなくなる→テンポの乱れになる この場合、テンポの乱れだけでなくて音の間違いだったり、音程がうまく取れないということにもつながります。
実は、自分の演奏しているテンポ(音程なども)を正しくモニタリングし、フィードバックをかけていくのは結構難しい技術だな、と思います。 正しくモニタリングするには、疲れない、焦らないということが基本なのだろうと思いますが、 そんな時に役立つのがマインドフルネスだと思います。 マインドフルネスは自分の気持ちのコントロールにも役立ちます。 自分の体の状態をモニタリングする、ボディスキャンというプログラムや、 レーズンを食べるプロセスを丁寧に感じる、レーズンエクササイズが役に立ちそうです。
ボディスキャンは静かに横になって、呼吸に意識を集中させたのち、体の端から端まで、自分の意識を動かしていきます。 例えば、右足の先端がどうなっているか感じ、その次にふくらはぎ、膝、腿など意識を徐々に違う部分に動かしていきます。 「少し暖かい」「布団の感触がやわらかい」など、自分の体がどう感じているか、細かく見ていきます。 こうすることで、自分の意識がどこにあって、体がどう感じているか、普段から感じやすくなっていきます。
レーズンエクササイズでは、レーズンを1粒食べるのですが、食べる前ににおいをかぎ、形をよく見て、 レーズンがどのような状態かをよく観察します。食べるときも、口の中で感触をよく確認してから噛み、柔らかい感触、 丸い形、味、香りなどを感じながら、ゆっくり食べます。時間としては5分程度かけて丁寧にレーズンのすべてを 味わっていきます。このことで、何か一つの対象をゆっくりとモニターし、感じることができるようになっていきます。
マインドフルネスは、「いま、ここ」に意識を戻す練習ですので、自分の「今の体、今の意識」に気づく訓練になると思います。 とくに上に紹介したエクササイズは演奏の際の落ち着きを取り戻し、自分のモニタリング能力を上げるのに役立ちそうです。
あと1か月、マインドフルネスも活用して良い本番にしたいと思います!
]]>極楽錠前のKすがです。
本日は合宿最終日、昨日までの練習と飲みと食事の用意でだいぶお疲れで、最後の仕上げの通し練習の出来がイマイチです。わたしもだいぶ思った通りにできないところがありましたし、皆さんも・・・思わぬところで落ちていました。
まあ、皆さん疲れているんだろうなー。
後1カ月の中で何とかまとめて行きたいです。
参加の皆さん、お疲れ様でした!ありがとうございました。
]]>今日は朝から練習です。宿が素泊まりなので、自分達で朝食、昼食、夕食も作りました!
人数が多いと、昼食330円、昼食500円、夕食700円で作ってもらえますが、今回、参加者が少ないためNG。ですが美味しい食事を炊き出し係が計画して、みんなで作って食べました!
それから、今日の練習はバレエのFさんが参加してくれました。娘さんのKちゃんも一緒に参加して踊ってくださいました。私達も負けずに身体を動かしました。・・・全然動かない人も何人かいましたが。
明日も頑張ろう!
]]>今日の合宿は相模原国民生活センターに来ています。とてもキレイな施設で、主に研修用の会議室が充実しています。リコーダーくらいだと後を出しても全然問題ない感じです。
というか、いま、この施設にいるのは私達だけなので、音出し放題、使いたい放題です。ただ人数が少ないと食事は出してもらえず素泊まりになります。
というわけで今日の夕食から、自炊生活でした。
今日の夕食はビッグハンバーグ。夕食を挟んで午後練習、夜練習と充実した練習を行い、その後は部屋飲み!明日も頑張ろう!
極楽錠前のKすがです。
本日から3日間、極楽錠前の合宿です。
場所はちょっと変わったところで、淵野辺に来ております。どんな合宿場所に来ているかは、この後報告します。
極楽錠前のKすがです。
ちょっと事情があって、去年、他人の話を聞く練習をしました。
で、私は他人の話を聞くのが割とうまいということがわかりました。
とはいえ、別に完ぺきではないですし、出来の良い時も悪い時もありますが、どうやら、結構いい感じみたいです。
他人の話を聞くというのは、アドバイスすることでも、盛り上がることでも、判断することでもありません。
ただ、聞くだけです。しかも、本質的にどうその人が、今、感じているのかを聞くだけです。
昔あった辛いことの具体的描写を聞いても、その具体的な描写を聞いていくのではなく、その人が今抱えている
辛さを聞いていく。その気持ちを「そう思っているんだね」と聞いていくだけです。
だからといって、相手がどう言おうが、「あなたと私は関係ないし、そー思ってるんだ」ということではないです。
その人へのリスペクト、理解を持てるように聞いていくということです。
相手と感覚的に同じになることでもなく、相手の見方になるわけでもなく、ただ、その感情を理解すること
というのは意外とできないことのようです。
確かに、自分と同じような境遇の人の気持ちは理解しやすいし、マイナスなことを言う人にはアドバイスの
一つもしたくなる。例えば、「子供のころから親に厳しくされ、いまだに会うと辛い、会いたくない」
などという人には「もう大人なんだから、何があったか知らないけど、あなたも親にやさしくしないと」
と言いたくなる人もいるでしょう。
でも、聞いている人は、「何があったか知らない」のです。何があったか知らないのに、そんなに簡単に
ジャッジできるものなんでしょうか?結局、本当にその人に具体的にいろんなことを聞いたら、
とてもそんなことは言えないかもしれない(例えば、本当は親に性的虐待を受けていた、など)のに、
その人の気持ちを無視して、一般的な規範や自分の考えを押し付けているかもしれません。
話を聞くというのは、その人が今話したことの中で、今、その人がどう思って自分に何を言いたいのかを
ただ聞くことです。その気持ちがはっきりわからなければ、そのための質問をすればよいです。
自分のジャッジのためや、自分の考えをアドバイスするための質問は、相手にとっては意味のないことで、
相手の気持ちを受け入れないままで相手にアドバイスするというのは、もっと余計なことのような気がします。
人間は、物事を解決するだけでなく、感情を共有するという目的をもって話をします。
嬉しいことや悲しいことを共有することを目的に、話をするのです。まずは、その気持ちを共有し、
その人の今を理解するということが、大事なんだなーと思います。
その人の話をちゃんと聞くって結構、神の行為であるような気がします。
苦しいことがあった時に、神に祈る、神だけはわかってくれると思う。解決できない時も、神に
見守ってもらいたい。神は何も言わないけど、自分のことをわかってもらえる、そう思うと、人は
なんとか生きていけるときがあります。そんな神的行為が、人はできるのだな、求めているのだな
と最近実感しています。
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極楽錠前のKすがです。
本日は極楽錠前の練習日でした。アプリコAスタジオにて、楽しく練習しました。
午前中はリコーダーだけの曲、午後はダンスや口笛を入れた練習を中心に練習しました。
特に今日は初めてダンスお二人と合わせました。
衣装合わせも兼ねておりましたので、素敵な衣装とダンスを初めて目にしました。
男性の衣装はまさにマタドール、女性の衣装は華やかな真っ赤なドレスに黒のボレロで、二人ともとても素敵!
ダンスはとても体力を消費するらしく、2回音楽と合わせただけでも、汗びっしょりで熱演していただきました。
口笛はポップス系の曲と合わせています。
とてもやさしい音色で、リコーダーとよく合います。やっぱり人の体から出る音って感じがします。
こちらもとてもいい感じになってきています。
本番が楽しみです。
来週は合宿です。合宿ではリコーダーの指の細かいさらい、音程合わせ、テンポキープなどのほか、
体の使い方、脱力、筋トレなども行う予定です。もちろん、曲としてバランスをとって仕上げていく
のはとても大事です。
皆様、本番をお楽しみに!
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極楽錠前のKすがです。
最近、毎日朝10分のヨガと、10分の筋トレを行っています。朝、会社に行くとき、18Fのオフィスまで階段上ります。
週1回ボクシングエクササイズに行き、行けるときには週末にヨガに行くことがあります。
というわけでヨガや筋トレのエクササイズ動画を見たり、ヨガ教室の先生やボクシングのトレーナーの話を聞き、
筋トレ本、ヨガ本、Webなどで、繰り返し言われているのは、
「股関節を動かすのが大事」
ということです。股関節の可動域を広くしておくこと、柔らかい関節にすること、がとても大切らしい。
筋トレ、ヨガなどを行うのは、ダイエット、筋肉をつける、柔らかいしなやかな体を保つ、という様々な目的が
あると思います。いずれの目的であったとしても、股関節まわりの筋肉が十分に柔らかく、楽に動けると、
全身の筋肉が良く動いて、血流が良くなり、脂肪燃焼にも効果的であるということらしいです。
太ももの筋肉は人間の体の中で最も大きいので、太ももを動かすことが大事なのですが、太ももを良く
動かすためには、股関節周りが動く必要があるということだと思います。
末永く健康な体を保ち、音楽を楽しんでいくためにも、何かしら体を動かすこと大事だなーと最近思います。
特に股関節周りは、通常歩くくらいだとそれほどストレッチもされませんし、大きな動きはないと思います。
こんな動画を見ながら、1日10分だけ筋トレしてみては?
https://www.youtube.com/watch?v=21n7EvSNScs
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極楽錠前のKすがです。
この年齢になってくると何かと持病に悩まされるようになってくる方が多いと思います。
フェイスブックなどでも闘病について書かれる方がいらっしゃいますし、昨年は知人でも心筋梗塞や大動脈解離などで、突然、お亡くなりになってしまう場合もありました。そういうことに触れると、心が痛いです…。ほかにも小さいことだと、糖尿病予備軍がいたり、血圧が高かったり、高脂血症、高尿酸値などはよく聴きます。
で、自分はというと、いたって健康です。
血圧も正常値(75-125)、血糖値も今のところは問題がなく、尿酸値、中性脂肪なども特に問題ありません。
四十肩とか五十肩とか、腰痛も頭痛もないです。世の中には爪が割れる方がいるとのことですが、自然に爪が割れるということも経験がありません。アレルギーもないです。
ずっと前から健康だったかというと、そうでもなく、子供の頃はしょっちゅう気管支炎になって学校を休みました。盲腸から腹膜炎を起こして長期で学校を休んだこともあります。大人になってからも手術を何回もやっていますし、定期的に鼻のどの細菌感染を起こして、入院したり中耳炎になったりしていました。決して何の問題もなかったわけではないです。
今、なんで健康なのかなーと思うと、まず、精神的なストレスを抱え込まないことが一つ重要な気がします。子供の頃の気管支炎や大人の時期の細菌感染は、自分が弱っていた時に発症していたように思います。それから、そこそこ運動して、良い食事をとることが大事だと感じます。ま、フツーのことです。健康オタクってほどのことはしませんが、毎朝10分のヨガと10分の筋トレ、野菜を中心に塩分少な目の食事をとるということが健康につながるのかなーと思います。一般的に言われていることと全く同じです。とはいえ、それを習慣づけてやるのが大変ってことなのかな。
またおいおい、ヨガや筋トレ、食事の具体的な内容についてもお話ししていきたいと思います。
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極楽錠前のKすがです。
「FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」
著者のハンス・ロズリングさんは、医師であり貧しい国の人々の医療状況や生活が改善するように、長年地域医療に携わってきた方です。この方が、「実際に、自分たちのやっていることがいかに効果が出ているのか、何をすれば最も貧しい国が豊かになれるのか?」ということを考えた末にたどり着いたこと、これが10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣です。
いまだにマスメディアは、こんなことを報道しています。みんな努力しているかもしれないけど、世界は貧しい国々(一日1ドルも使えない)が多くあり、戦争は収まらず、環境汚染が激しくなり、気候変動もあって、人口爆発の危機も目前。人類のダメさ加減と言ったら、もう手の付けようがないよ!昔の方が良かったんじゃないか?
…果たしてそうでしょうか?本当に、世界は以前より悪くなっていて、貧しい国は貧しいまま、医療も教育も変わらず、格差が広がっているのでしょうか?
そこでロズリングさんは以下のような質問をします。
たとえば…
質問1 世界の1歳児で、なんらかの予防接種を受けている子供はどのくらいいる?
・A 20%
・B 50%
・C 80%
質問2 いくらかでも電気が使える人は、世界にどのくらいいる?
・A 20%
・B 50%
・C 80%
この質問を、講演先の大学やいろいろな国のの環境省、経営者団体に聞きました。そして、それだけ優秀な人々が集まっているところでも、人々の認識は間違っていたことがわかったのです。
質問1、2とも答えはCです。しかし、ほとんどの団体では、正解率が1/3より小さかった(ランダムに選ぶチンパンジーより低い、という表現を使っています)のです。つまり、人は思い込みによって、現実を正しく受け止められないということなのです。
この質問を間違える思い込みは、「ネガティブ本能」「極端化」という気持ちが人間の中にあるため。メディアの取り上げ方もついつい、極端な現象を取り上げ報道するので、「(自分が良く知らないところでは、)極端なことが発生している」と思いがちなのです。
このほかにも、「世界は分断されている」「危険では鋳物を危険と思いこむ」「世界は変わらないと思い込む」などの思い込みによって、人は様々な判断を間違うことが指摘されています。
「あちら側の世界の人たちは、違うから何を考えているかわからない」「世界は危険なものばかりだから、環境汚染や感染症から煮てられない」「どうせ何をやっても無駄」という気持ちは、私たちの中にいくらかはある感情・思い込みだと思います。が、その思い込みを事実と間違えないために、どのように考えるかが示されていて、とても面白いと思いました。
私自身、世界が良くなっていってほしい、と思っていますが、実際に世界が以前より良くなっている実感が今までありませんでした。しかし、実際に一日に使えるお金が1ドル以下という極端な貧困の国は減っており、(戦争している国は貧困になるそうです)医療の水準も以前からずっと上がったことがデータで示されています。教育が貧困や医療の改善に貢献していることも、この本に書いてある見逃せない事実でした。こういったデータを見て、私は「ああ、人類は自分の世界を改善できるんだ」と実感を持てたことはとても良かったと思います。
ところで、そういった事実を突きつけられて変わらない人の例というものもありまして、以下ご紹介します。
ロズリングさんが欧米の経営者団体で講演した際に、アフリカが豊かになっているデータを見せながら「アフリカなどの国では生活が改善しており、これからの市場価値はどんどん上がってくる。人口が減ってくるヨーロッパの一部の金持ちの女性のために、薄くて運動してもずれないナプキンを一生懸命開発するより、アフリカで毎日汗水流して働く女性に、今までと同じ品質のナプキンを提供したほうが儲かるのではないか」という話をしたそうです。しかし、話を聞いた経営者は「アフリカがそんなに豊かになるなんて、ありっこないことだよ。市場価値などない」と、事実を一蹴する発言をしたとか。
思い込みは簡単に変えられないのでしょうが、データを見ても「俺の思い込みの方が正しい!」と言えるなら、もはやデータも不要ということになってしまいます。そんな人にもファクトフルネスが実感できる日が来ると良いのですが!
極楽錠前のKすがです。
1年半ほど前からウクレレのレッスンに行っています。
管楽器はクラリネット、リコーダー、ユーフォニアムなどやったことがありますが、
弦楽器は初めてで、とても楽しいです。何が良いって、歌を歌ったりすれば、
一人で音楽が完結できるというのはいいなーと思っています。
もちろん、合奏も楽しいです。リコーダーとの組み合わせは最強だなと思います。
ハワイアンも良いのですが、音色が可愛いのでポップスのかわいい曲やアニメなんかにも会いそうです。
クラシックも行けると思います。
2週間に1回レッスンに行っていますが、先生はもともとジャズギタリストで、
ジャズと私が受けてきた音楽教育の違いについても、びっくりしますし、楽しいです。
まず、楽譜はコードのみで、リズムがないのがこの世界では一般的なようです。
カウントを裏でとる、というのもなかなか慣れません。
昨日は、「ワンー、ツー、スリー、フォー」と先生が言って、一緒に演奏し始めようとしたら、
私が半拍早くて、ずれてしまったということがありました。
先生は、裏拍から入るのが普通なのですね。
技術的なこともいろいろ面白いことが多いです。
ギターやウクレレにもハーモニクスがあり、バイオリンなんかと同じなんだなーと思いました。
まだハーモニクスはうまくできませんが、そのうちできるようになったらいいなーと思います。
さて、次回の演奏会ではウクレレも登場します。
まだ初心者並みですが、今までの練習の成果が出せるといいなと思います。
本格的な本番はこれが初めてなので、うまくできるかどうか…。こうご期待!
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久しぶりにブログに返ってきました。
思えば、2年前の8月19日に演奏会をやっていたのですね。2年ぶりに極楽錠前の演奏会をすることになり、ブログも再開です。
今回も期間限定で演奏会まで発信します。
2年間という日々は、振り返ってみると短いように感じますし、何も変わっていないように感じる方も多いと思います。
私にとってこの2年間は、短いけれどすごく変化があった2年間でした。
仕事は変わっていませんが、仕事に対する理解度や感覚がだいぶ変わりました。友達が増えたり減ったりして、頻繁に話をする人が変わったり、話の内容や深さも変化があったように思います。
体調面では、ホットヨガに行っていた→しばらく忙しくてやめた→自宅でヨガ&筋トレ→Shapitに行き始めた(ボクシングエクササイズ)という変化があり、体重は増えつつも筋肉がついてきたかなと思います。
この年になると、人間なかなか変わらない、と言われますが、私にいわせりゃ、
「変わろうと思うと、変われるよ〜ん」
です。ま、変わろうと思わなけりゃ、変われませんけどね。変わろうと思うかどうかは本人次第なので、
本人が変わりたいと思うかどうかが、一番の問題ではあります。なので、嫌な奴に「あんたがおかしいから、ここを変えろ」
というのは無駄なこと。そいつが自分で自分を変えたくなるようにいかに持って行くか、が問題であるように思います。
ま、たいてい嫌なやつは、何を言っても「自分は正しいから変わらない、相手が変わるべき」って言うんですけどね。
最近思うのは、変化できるということは、本人にとっても良いことが多いような気がします。レジリエンス、って言うんでしょうか。
変化の多い時代ですから、自分自身にもレジリエンスを!と思います。
]]>極楽錠前のKすがです。
この前の日曜日にステージリハーサル(ステリハ)を行いました。その時の2部の録画を見たので、その感想と本番への意気込みを語ります。
演奏としてはだいぶ仕上がっているのですが、フォルテでの音程がやはり気になるところが多いです。
特に2部の最初と最後の曲、迷い道のですが、かなり音程が厳しいところもあるので、あまり頑張りすぎないように気を付けましょう。
リコーダーは息の圧力が強くなるとあっという間に音程が上がる楽器ですので、改めてそれを意識していきましょう。
もしもまだ指の練習ができるようでしたら、左手の親指を外した脱力練習をやってみてください。細かいところの練習の成果が出ると思います。
ピアノで入るときにびくびくしすぎるといいタイミングで入れなかったり、音程が怪しくなるので、そんなにピアノにしすぎないでしっかり入ってもらった方がいいように思いました。(ジュラシックのイントロあたりとか)
スライドが出るときの演奏者への照明ですが、もう少し暗くてもいいのではないかと思います。その方がスライドが良く見えるような気がします。全体的にその傾向がありますが、特にカルミナのイントロ、せかちゅうの最初の部分は明るすぎる。イントロで暗転しスライドを見せて、その後奏者明転でもいいのではないかと思いました。
火の鳥のイントロの音と入りのタイミングは外さないようにしよう。
そんな感じですが、演奏、スライド、ナレーションも、流れがスムーズで、「現在・過去・未来」の世界に入り込める感じで良かったです。極楽スタッフの過去と現在のスライドも楽しい感じですし、最後の火の鳥への流れも良かったように思います。ぜひ、最後まで良いステージになるようにみんなで頑張りましょう!
演奏会まであと3日。
]]>極楽錠前のKすがです。
最近涼しい日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。こんなに涼しいと、冷やし中華なんて食べたくなくなっちゃう。
…そうなんですよ。人間、温度によっていろいろな行動を左右されたりしているのです。
例えば、夏の気温の上昇に伴って、以下の温度で物が売れるようになるそうです。(ちょっと私が会社で聴いているのと違うかもしれないけど)
22度 ビール、ジュース
23度 浴衣・甚平
24度 水着
25度 麦茶
26度 蚊取り線香などの殺虫剤
27度 アイスクリーム
28度 鰻の蒲焼き
29度 日傘
30度 かき氷/アイスクリームは売れなくなる/冷たいお茶、水が売れる
はい、ここで大きな問題なのですが、たかだかちょっと個人的に「ジュース飲みたいな」「ビール飲みたいな」という変化があることで、世の中の飲料の売れ行きというのが大きく変わるわけです。かくいう弊社もそういったことに影響を受ける会社の中の一つでありまして、夏に気温が高いことは、冬のボーナスの額に影響してきます。えーっと、ですからみなさん、とにかく夏にはジュースとかアイスとか、飲んで食ってください。できる限り、美味しいにおいのするもの(フルーツとかバニラとか)がいいですね。
とは言っても、こんなに気温が低いんじゃ、冷たい飲み物なんて欲しくなくなりますよね。洗濯の頻度とかシャワーの頻度も落ちそうで、ますます、弊社売り上げが心配になる今日この頃です。夏場が涼しいのは個人的には嬉しいですが、世の中のたいていの会社は「夏暑く、冬寒い」方が売り上げが上がって幸せになるようです。日本の経済発展のためには、ぜひ、暑い夏カモン!としたいところですね。まあ、こまわりくん的にはここ最近は「暑い夏、死刑!」というわけで、「秋がやってきたのだ。あきはやっぱり、んが!なのだ」って感じですけど。演奏会の日は、涼しいけど雨は降らないでほしいな〜と思っています。
演奏会まであと5日。
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極楽錠前のKすがです。
10月に会社のインドアフィリエートから研修生がやってきます。1週間日本に滞在する予定なのですが、ベジタリアンなので食事について検討中です。ベジタリアンといっても、ラクト・ベジタリアンという乳製品&野菜が食べられるベジタリアンです。卵、肉、魚はだし類も含めて食べられないので、和食のお店も厳しい感じです。パンも卵を使っているとだめですし、ベジタリアンは肉や海産物を揚げた油を共用することもNGなので、野菜の天ぷらなんかも食べられないことがあります。
一般的には、インド料理店ではベジタリアン食を扱っているところが多いので、そういったところに連れて行くのが無難そうです。でも、せっかくインドから日本に来たのに、滞在中の食事がずっとインド料理のベジタリアン食ばかりというのも、なんだかツマラナイような気がしませんか?
というわけで、調べてみると、それなりにViganレストランも都内にあったりします。Viganというのは、乳製品も含め動物性のものは一切使用しない主義のこと。このような厳しい制約がありながら、大豆のたんぱく質で肉っぽいものを作って、焼き鳥っぽいものや酢豚っぽいもの、ウナギのかば焼きっぽいもの、握り寿司っぽいものを出しているレストランがあります。
例えばLoving Hutさん。ウナギのかば焼き重は、なんだかとても本物っぽいです。…食べてないから、実際のお味はわかりませんが。写真を見ていたら、なんだか、ちょっと試してみたくなったよ。野菜ばっかりでこんなうまく作ってくれるなんて、食べてみたいです。
あと、行ってみたいのは ぎんざ 泥武士。ここは、野菜料理のお店として以前から知っていましたが、ランチで4,000円以上するので、あまり行く気にならなかったのです。高すぎる気がして。でもVegan対応可能で和食っぽいものが出てくるなら、海外からのお客様のディナーとして、いいかもしれない。ちなみにランチコースもディナーコースもあまり値段は変わりません。Veganコースは5,600円です。
ランチはインドレストランのほか、サブウェイのベジタブルチーズサンドとポテトや、いなりずし、かっぱ巻き、かんぴょうまきとか、蕎麦屋でざる蕎麦+醤油、ゆでた野菜(なめこ、おくら、わかめ)のトッピングとか考えています。
と、だいぶいろいろ考えて、なんとかなるかも〜〜とか思ってます。一方、それはいいんだけど、一緒に研修する中国人の女性もいて、これまた一緒にご飯を食べさせるのも考えものだな、という気がしています。せっかく日本に来たのに、野菜ばっかり!というのもね…。中国人女性は「なんでも食べます!」だしね。さて、どうしたもんかなあ。
演奏会まであと5日。
]]>極楽錠前のKすがです。
今日は来週の本番に向けて、ステージリハーサル、いわゆるステリハってやつをやりました。
2部のスライドを映したり、ナレーションの練習をしたり、ティンパニや与作(ビブラスラップともいう)、ランケット、スライドホイッスルなどの特殊楽器の練習にも余念がありません。(ランケットとかビブラスラップとかは何か教えない)
結構、演奏的には良くなってきたと思いますが、一部動画を撮影したので特別公開します。失敗しているのも途中のもあるけど、本番をお楽しみに、みんな待っていてね!(関連動画で、ほかの曲もあります。途中までのも多いけど)
来週の土曜日には本番だよ!
演奏会まで、あと6日。
]]>極楽錠前のKすがです。
明日(もう今日か)はステリハです。楽しみですね。
さて、今日はパンケーキの話。パンケーキ、ブームでしたけど私は全然食べていませんでした。
というのは炭水化物を控えるようにしていたからです。なのですが、このところどうしてか、炭水化物が猛烈に食べたい!と思うときがありまして、今日は急にパンケーキを食べてしまいました。
川崎にあるジェイ・エス・パンケーキ・カフェ。
シンプルなものもありますが、フルーツやクリームがたっぷり乗ったもの、ソーセージや野菜、カレーが合わさったお食事タイプもあり、生地はノーマルのとフレンチトースト風にしたフレンチタイプもあります。今日は、甘いものが食べたかったので、ストロベリー&バナナのノーマル生地のタイプを頼みました。
うーん、美味しそうでしょ。カフェオレとセットで1600円。…ちょっと高いけど、たまにだからまあいいか。
しかし、人間、炭水化物を控えていると、どうしてこんなに急に炭水化物を食べたくなるのだろう。
以前、ダイエットをしていて炭水化物を控えていた時も、急にやめたくなってパンやうどんを食べ始めました。
最近はダイエットと言うことでもないのですが(体重管理はしていないので)、控えめにしていました。
私の場合は、炭水化物と言うと、小麦粉のようで、パンや麺類が食べたくなります。ご飯はそれほどほしくない。
ご飯は平日ランチのお弁当で食べているから、なのかもしれません。雑穀を混ぜて、ヘルシーかつ量も少なめです。
パンや麺類はふだんとっていないので、急にほしくなるのかな。血糖値の問題というだけではないような気がしています。
好きなものを我慢しているという状態も関係があるのかもしれません。
結局、甘いものも、麺やパンも好きなんですよね。それを、ずっと我慢することができないだけなのかもしれない。
よく思春期の欲求を我慢することができるように、代償行動や昇華行動などが提案されていますが、結局のところ「欲しいものを我慢してほかのもので満足することなどできない」というだけの話なのかも知れません。
演奏会まであと7日。
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極楽錠前のKすがです。
会社の業務の関係で臭い関係のWeb記事をたまに読んでいます。今日気になったのは以下。
記事によると「スメハラ」(スメルハラスメント)と言う言葉が出てくるくらい、においを気にしている人が多く、消臭関連のグッズがたくさん開発されているそうです。消臭マスク、消臭扇風機、消臭ハンガーなどなど。詳しくは元記事に当たってください。
私が気になったのは、3ページ目にある消臭下着の機能についての解説。
「…脂臭(原因物資:ジアセチル)や加齢臭(ノネナール)はもちろん、汗臭(アンモニア)、ワキ臭(酢酸など)、足臭(イソ吉草酸)、オナラ・排泄臭(インドール、硫化水素)も消臭できるという。しかも、同社の調査では、わずか30秒で80%超の消臭率を達成し(ミドル脂臭は30秒で50%の消臭率)、100回の洗濯を経ても消臭力はほとんど衰えなかった。…」
人体の嫌なにおいの原因って、結構解明されているんですよ。そのデータをもとに、消臭が何パーセントできているか、という検討をして、消臭グッズって開発されているのです。「へーーー」って、さらっと、読み流した人は想像力が足りないです。「どうやって???」って思った人、はい、鋭いですね。なんか、嫌な感じの実験が頭に浮かぶでしょ?
実際に私が以前経験した実験について説明しましょう。そのころは、まだ汗集とかオヤジ臭(加齢臭)とかって、何が原因なのかわかってなかったのね。会社でそういった悪臭関係の研究をしている人がいるので、協力してほしいということで、その時は若手男子、女子が集められました。恒温室っていう一定の温度に保てる実験に使う部屋がありまして、水着に着替えて(水着は自前です)その恒温室に入れられます。恒温室の温度は多分40度くらい。今はやりのホットヨガの温度くらいですね。ちょうど人が一人はいるくらいの、巨大なビニール袋が各自に用意されていまして、ビニール袋にすっぽり入って1−2時間。汗がビニール袋にたまるのを待ちます。その汗を回収して、においの成分を溶媒抽出し、機械にかけて分析するのです。
オヤジの臭いを分析したい場合は、妙齢のオヤジばかりが集められて、同じようなことをさせられます。ここで大事なのは、「オヤジの臭いとオヤジではない人の臭いの違いを理解すること」です。オヤジの臭いだけを分析すると、オヤジの臭いを含んだ悪臭の全体像はわかりますが、オヤジ特有の悪臭の本体について把握することが難しいわけです。ですから、対照群の設定が必要になりますので、若手男女の悪臭分析も必要となってきます。また、このような生物を対象とした実験の場合、一人二人のサンプリングではばらつきがありますので、ある程度のサンプル数が必要になります。要は「オヤジっていっても、相当、オヤジ臭い奴もいれば、そうでないやつもいる。」っていうことです。だから、オヤジをたくさん集めて、汗を回収する必要があるのです。
また、大事なのは官能評価です。官能評価って??はい、ずばり、臭いをかぐことです。実際、どういった臭いが「オヤジ臭の臭いなのか」を知らなければ、正しく機械で分析をすることができません。実際にオヤジの臭いとは、どんな臭いかを鼻で感じ、その匂い自信の特徴をデータの中からピックアップしていく必要があります。その時に使うのが、人間の鼻なのです。そこで、まずは汗のにおいを実際に自分で官能評価(鼻で嗅ぐ)し、「これこそはオヤジ臭!」という臭いを鼻で理解します。その後、機械によってオヤジ臭を含んだ悪臭本体を細かく分別し、分別された臭いの化合物一個一個を嗅ぎながら、機器分析を行います。この作業によって、分別された臭い化合物の中のどれが「オヤジ臭本体」かを知ることができるのです。
かように、世の中の「悪臭本体をとらえる実験」は行われているのです。汗を分析するほか、何日か来たシャツや靴下を分析したり、脇パッドみたいなものを分析することもあります。そして、その化合物をうまく分析でき、どのくらいの濃度があるのかをさらに追及し、それがどの程度「消臭グッズ」によって濃度低減することができるのか、ということまで実験して、はじめて「消臭効果が〇パーセント」みたいなことが言えるわけです。
はい、皆さんもうお分かりですよね。記事の中にさらっと「消臭効果〇%、△時間持続し、×回洗ったときにも効果は◎%持続した」とか書いてある時には、「どんだけオヤジ集めて実験したんだよ〜!!」って頭の中でオヤジが狭いところに押し込められて汗かいている図を想像してください。
演奏会まであと8日。
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極楽錠前のKすがです。
蒲田にある会社から川崎の自宅までたまに歩いて帰っています。
蒲田→雑色→六郷土手→川崎という経路ですが、雑色の駅前にバーミヤンがあって、一度行ってみたいと思っていました。その2階にはサイゼリヤです。で、今日は一人でバーミヤンに入って夕食を食べました。ビール299円、枝豆199円、餃子149円という安さ。グラスワインは100円、岡山山椒入り濃厚つけ麺が649円。めちゃめちゃおなか一杯です。しかもけっこうおいしいです。
まあ、私はなんか食べた後、最後にお金払った時においしさが決まると思っていますので、安いところは評価が高くなる傾向はあるかもしれません。サイゼリヤとかバーミヤンとか、コストパフォーマンスがいいなと思います。なにしろ、お酒の値段が安いです。ビールは基本、中身が一緒と思いますので、値段の差があってもおいしさは変わりありません。グラスワインに至っては100円ですが、けっこうちゃんとワインとして良い感じです。このへんの調達能力のすごさは、素晴らしいと思います。1000円ちょっとあれば、ずいぶんおなか一杯ですし、お酒も飲めます。
最近はこういった安くて美味しいところが増えていていいなと思います。自分が年をとって、年金暮らしになったら、どうやって安くおいしいものを食べていこうか、と今から考えています。もちろん、自分のうちで食べるのが一番いいのですが、安く外食するなら、どういうところがいいかな、と考えるのも面白いです。
ちなみに、バーミヤン、サイゼリヤのほか、テング酒場、晩杯屋なんかはいいと思います。皆さんもおすすめの安くて良いレストラン・食堂があったら教えてください。
演奏会まであと11日。
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極楽錠前のKすがです。
人が自分の関与する人間関係を認識する場合、あらゆる人を同じように捉えるのではなく、ある程度の階層構造で捉えるようです。
一般的には、自分に一番近い家族や配偶者をコアの関係として捉え、その少し外側に友人や親しい知り合い、その外側に会社の人間関係やあまり親しくない友人、さらにその外側に知人の知人やよりかかわりの薄い人、というように自分を中心とした階層構造を持っています。自分に近い人ほど、自己開示の度合いが大きく、関係に対する期待も大きくなるそうです。
この階層のどこにだれを所属させるかは、人によって異なりますし、ある程度流動性があるものです。例えば幼少期には親が最も近いコアに所属しますが、大人になると多少外側の階層に位置したり、友人がより親しくなって内側の階層に入ることもあれば、離れて外側の階層に移動することもあるでしょう。
人間関係に問題がある場合、自分のコアに近いところに問題があるほうが、ダメージが大きく、その人の全体の生活に大きな影響を及ぼすようです。例えば、会社の人間関係が悪くても、家族が支えてくれる人であれば、会社を変えるなどの別の選択肢を考えることができます。逆に、会社では問題がなくても、離婚問題などを抱えている場合は、人は非常に大きなストレスを抱えてしまうこともあるようです。ストレス指数の中でも配偶者の死や離別は相当大きなストレスに換算されていて、最もストレス指数が大きいものとされています。
そういうことから、人間関係をフラットにとらえるのではなく、自分の階層構造の中で優先順位をつけて、解決していくことも大事かもしれません。例えば、会社での嫌なことについては、今すぐには避けられないものですが、職場を変えたり人が変わることによって解決する可能性があると捉えられるかもしれません。逆に家族の問題に関しては、多少エネルギーが必要でも、長い目で見てよい方向に行くように、努力を続ける必要があるでしょう。
そんな風に、自分の注力するところを考えつつ、より良い人間関係を築いて行けるようになるといいなと思います。個人的には、自分のコアに近い仲の良い人を増やしたり、より理解できるようになればいいなと思います。自分に近いほど、言葉が少なくなったり、「言わなくてもわかるだろう」という甘えも出てきがちです。が、それでうまくいかなくなってしまうことが、往々にしてあるように思います。自分の言葉や、言葉以外の表現にも自分の周りの状況を良くしていきたいな、と思います。
あと11日です。
]]>極楽錠前のKすがです。
ありの〜ままで〜、と言えば、アナと雪の女王の主題歌「Let it go」です。この季節には似合わない寒い歌です。
すごい好きっていうわけではないのですが、なんだか、昨日のブログの続きとして、良い感じかもしれないと思い、引用することにしました。自分が自分のままでいていい、ありのままの自分を認めたところから、自分の人生が始まる、みたいなところがこの歌のいいところなのかな、と思います。
自分では、なんだかいつでも、ここにいてはいけないような気がしています。なので、自分でも自分がありのままでいられたらいいなと思います。それから、自分のことも好きになれたらいいのにと思います。
演奏会まであと11日。
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降り始めた雪は足あと消して 真っ白な世界に一人の私
風が心にささやくの このままじゃダメだんだと
戸惑い傷つき誰にも打ち明けずに 悩んでたそれももう やめよう
ありのままの姿見せるのよ ありのままの自分になるの
何も怖くない 風よ吹け 少しも寒くないわ
悩んでたことが嘘みたいで だってもう自由よなんでもできる
どこまでやれるか自分を試したいの そうよ変わるのよ 私
ありのままで空へ風に乗って ありのままで飛び出してみるの
二度と涙は流さないわ 冷たく大地を包み込み
高く舞い上がる思い描いて 花咲く氷の結晶のように
輝いていたい。もう決めたの
これでいいの自分を好きになって これでいいの自分信じて
光、浴びながらあるきだそう 少しも寒くないわ
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極楽錠前のKすがです。
あと12日ほどで第10回演奏会になります。今まで練習してきたこと、準備してきたことが実って、楽しい演奏会になるといいですね。
悔いのないように、練習や準備を進めていきましょう。
さて、人生と言うのは、演奏会みたいな派手なことがあるわけではないので、わりとずるずると日々が過ぎていってしまうこともあるかもしれません。いつもと同じ仕事、いつもと同じ休日、自分の家族や周囲の人は徐々に年を取っていくけど、なんとなく同じ日々が続く…。もちろん、演奏会や子供の入学式とか卒業式とか、お正月やクリスマスとか、いろいろイベントはありますけど、いい加減年をとってくると、そういったものもマンネリ化するかもしれません。一緒にいる人にもだんだん興味がなくなって、いつも同じような話をして、だんだんとテンションも下がってくる。まあ、そういった生活も幸せの一つで、それが続いていくことも良いことなのかもしれません。
ただ、自分のしたいこと、欲していることが実現していないで、このようなマンネリの日々が続いていくなら、頑張って変えていきたいと、改めて私は思います。
私の父方の叔父が、一昨年の11月に胃がんと言うことがわかりました。ステージ4でほかの器官にも転移があるので、手術はできないで、胃ろうや抗がん剤治療でなんとか今も持ちこたえています。幸いなことに、外出して旅行に行ったり楽器を吹いたりする体力もあるため、充実した日々を送っているようです。体に合う服を新調しておしゃれを楽しんだり、新しいトロンボーンを買ったりしているようなので、それだけの気力があって良かったと思います。
ある日、叔父が抗がん剤治療で入院している時、お見舞いに行きまして、それでお見舞いの後、叔母といとこの女子(といっても30過ぎですが)とお食事に行こうという話になっていました。お見舞いして、「じゃあ、お食事に行ってくるね」と言って、席を立ちましたら、叔父が「いつもの」という感じで、いとこの女子とハグしてから「いってらっしゃい」と言いました。叔母によると、「毎日そうなのよね」ということでした。
私の知っている叔父は、元気な時にはハグをするような人ではなかったです。だいたいいつも気難しくて、特に若い時には機嫌がいいことより悪いことが多く、とっつきの悪い人でした。もちろん、家族を愛していたのでしょうが、それをあからさまに表すようなタイプではなかったのです。けど、このような状況になって、きっと叔父も「自分のしたいことを今のうちにしておこう」と思ったのかな、という気がします。人生でやり残したことがないように、と思っているのかもしれません。
振り返ってみると、自分はあたかも命がずっと長く続くように、マンネリな日々を送っているような気がしたのです。自分が本当に欲していることをやっていかないと、後悔するように思いました。自分だって明日命がなくなるのかもしれないし、いつ何時、余命〇年、〇か月という宣告をうけるかもしれないです。その時までに、自分の表現しておきたいことを表現しないでおいたら、なんだか後悔するように思います。大事に思っていることを大事にできなかったら、後悔すると思います。だから、自分では自分の欲するところをちゃんと求めて生きたいように感じました。
先日、合宿でやってたハグは、その一貫です。まだ慣れないけど、もっとうまくできるようになりたいです。
演奏会まであと12日。
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極楽錠前のKすがです。
今日は極楽錠前の練習日でした。2部の通し練習、2部の部分練習、1部の通し練習をしました。
いよいよ演奏会も近くなってきましたので、主に全体の流れの中で自分の動きを把握することも大事になってきます。
出入りも含めてうまく動けるように、次回のリハでも認識して本番に備えましょう。
今日少しやりましたが、左手の親指を外して難しいパッセージを練習するのは、脱力ができるようになって、スムーズに指が動くようになりますので、とてもおすすめです。ただ、親指を離しただけだと。音が変わってしまうのでセロテープを使ったりして、音が変わらないようにして練習するとうまくいきます。本番まで、個人練習等でこういったこともやってみるといいのではないかと思います。
それ以外では、息の状態を整えることを心がけてみていただけると良いかもしれません。
緊張すると、のどが絞まってしまって、グロールっぽい音が出てしまったり、音の出だしが不安定になってしまうことがあると思います。深呼吸して、自分ののどや肺に息が入っていくことを感じ、それをいろいろな速さで吐き切ることを練習してみます。どの息の速さが心地よいか、緊張が取れるのか、自分の体の状態をチェックしながら、検討してみます。落ち着いてゆっくりと息を吸うことができ、演奏する時に適切な息の速さ、強さがだせるように練習します。笛を吹きながら練習してもいいし、笛がなくても練習できますので、ぜひ息の練習も検討してみてください。
皆様のリコーダー技術の発展をお祈りいたします。
演奏会まであと16日。
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極楽錠前のKすがです。
演奏会まであと、17日程度ですが、演奏に、ステージ企画スライドに、プログラムに、ダンスに、いろいろ余念がないです。
このところの極楽錠前の演奏会は、演奏に劇や歌やダンスが入っていることが多いのですが、よく考えたら、これってオペラやミュージカルと同じ要素でできているよね! 私としては、音楽だけ、というより、物語があって、ダンスがあって、演出があってといういろいろな表現要素があったほうが、とても感情移入しやすく、好きなパーフォーマンス形態なのだということを、今日になって改めて気が付きました。
実は、オーケストラの交響曲よりもオペラが好きですし、もっとわかりやすいミュージカルなんかも好きなパフォーマンスです。物語があって、言葉(歌)があり、ダンスやステージの演出も加わったステージを見るのはとても楽しいです。
で、その中で、どれに優先順位がついているの?と考えました。私の優先順位は、以下です。
?言葉(物語、歌)→?非言語コミュニケーション(演技、ダンス)→?音楽→?それ以外の舞台演出
まあ、優先順位つける必要もないのですが、物語はあったほうが自分としては記憶に残るのです。それも、「●●と××が戦争をしました」という物語ではなくて、感情の吐露があったり、愛をうたったり、やるせない感情を抱いたりというような、個人的な感情のほうが、理解しやすくて私には良さそうです。(だれだれが、だれだれの息子で、とかそういうのは憶えられなくて、また苦手)
歴史大河ドラマみたいなものより、太宰や谷崎の私小説が好きだったりするし、要するに私は人間的に小さいんです。私の周りのちいさーーーい範囲が平和だったら、それでいいんです。民族間の紛争とか歴史的に〇〇と××が相いれないとか、そういうことを、すぐ忘れてしまうのも、たぶん、そういったことに関心が薄いからなんだと思います。あと、ワーグナーとかより、フランス物が好きっていうのもそんなところに由来するのかも。
自分の周りのちいさーーーい範囲のちいさーーーい話の物語がうまくいって、あまり変なことを考える必要もないくらい非言語コミュニケーションもうまくいって、多少の音楽があるくらいの生活があったらいいのかもしれない。
ただ、昔、自分の周りのちいさーーーい世界があまり平和でなかったことがあって、どうしても、身近な平和を感じにくくなっているのかもしれない。自分の気持ちの中で、いつまで経っても、平和な身近な世界が実現しないために、感心が世界が歴史に向かないのかな、とも思います。
演奏会まであと17日。
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極楽錠前のKすがです。
今日は一日外に出ないで、極楽仕事していました。
当日のスケジュール、係マニュアル、アンケートの作成、スライド用のお絵かき、衣装の検討などなど。
結局そうやって遊んでいることが楽しいんだろうね。付き合ってくださる方に感謝です。
今日の良くできた絵をここにも残しておきます。
演奏会まであと17日。
]]>極楽錠前のKすがです。
大人になったらある程度常識がないといけないとか、「これくらい常識でしょ!」とか、そんな言い方があったりします。そういう言い方を知っていますが、私はあまり常識がないような気がします。
はた目から見ると、「Kすがさんは、ちゃんとしている」みたいに思われがちなので、「さぞかし常識的でしょう」と思われる場合もあると思いますが、基本、常識という概念は疑っています。
常識とは「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。」だそうですが、あまり自分が健全ではないのと、一般人が共通に持っている、ものが良く私にはわからないことが原因です。
太宰治の「人間失格」の中に、主人公が薬中になって、自殺未遂したり、心中して女だけ死んだりとかしているときに、友達から「そんなことをしていたら、お前、世間が許さないよ」と言われます。で、主人公は「世間ってなんだ?世間ってのはあんたのことじゃないのか?」と思うわけです。その感覚というのが、私には非常に共感できて、「世間っていうのは、その人が思う自分を中心とした世界」と思っています。なので、人間の数だけ世間があってもおかしくない。これと同様に、だれかに「これは常識だ」と言われた場合、「それはあんたの常識だろ」という気持ちが私の中にあります。なので、人間の数だけ常識があってもおかしくない。
ただ、そうはいっても、各々の「世間」や「常識」にまったく重なりがないわけじゃないんだと思います。ある程度、重なったり、あるところではずれを生じていたりする中で、まあまあ「常識的」なラインが、割と自分に近い「世間」の中でできているのだろうな。と思います。それが、なんとなく世の中をスムーズに生きやすくしてくれる分には、それもアリなんだろうという気が最近はしてきました。もちろん、人間が生きにくくなるような常識はいらないと思いますけど。ただ、以前は、自分で常識にとらわれないように、ということを考えてきましたが、最近はそればかりじゃなくてもいいのかな、と思うようになりました。お互いに齟齬があった時に、自分の感覚と相手の感覚のずれを解消するために、「こういう風に考えるのは一般的じゃないか(要するに常識的ってこと)」というまとめかたをするのも、アリなんじゃないかと。
なぜなら、結局、「こうしてもらえたらうれしい」とか「これだけは嫌」というのも個人の感覚から発生しているものですが、それに齟齬が生じたとき、大枠で合意が取れそうなところに照準を合わせて話をしていったほうがいいような気がしてきたからです。人間、いろんなバックグラウンドがあり、いろんな感じ方をする人がいて、それでいいんだと思います。けど、感情的な齟齬があった際に、どこに照準を合わせてずれを修正していく原動力が、関係者間の力関係だけになるのも、あまりよくないような気がしています。そういったときに、「多くの人が合意できそうなライン」みたいな意味で、常識というものも、有効に使える時があるのかもしれないな、と思います。もちろん、常識っていうものにも、何かしら意味がほしいなって思っちゃいますけど。それも私の限界かもしれないと思いつつ、自分でも柔軟な心と体を目指していきたいと思います。
演奏会まであと18日です。
]]>極楽錠前のKすがです。
夏休みで唐津に来ています。
唐津は「ユーリ on Ice」のアニメの聖地だそうで、結構若手女子が集まってきているらしいよ。(私は知らなかったけど)
もちろん、昔から海水浴とか、イカなどの海産物(玄界灘)も有名でのんびりしていいところみたいです。
昼に、キャラバンという、佐賀牛ステーキと「ユーリ…」の聖地として有名なレストランに行ってきました。
予約していったのに、なぜかお店は準備中。でも、ここまで来たので、思い切って入ってみると、お店はちゃんと営業しているんだよね。どうやら、「営業中」にしておくと、予約なしのお客が入りすぎてサービスができないので、わざわざ準備中にしているらしい。
店長はとてもサービス精神旺盛で、お肉のおいしい食べ方、東京で自分が働いていたこと、唐津に戻って唐津を盛り上げるために行政を動かしていることなど、たくさん語ってくれました。で、「僕は唐津が好きなんです」と言っていたのが印象に残りました。唐津は、おいしいお魚もお肉もお米もお酒もあるし、すごくいいところだと思います。けど、そうはいっても、遠くからたくさん人が来られるか、というと簡単にそういう風にはならない。で、自分の好きな場所を盛り上げるために、一生懸命、アニメとコラボしたり、行政に訴えたり、東京の友達と交流したり、だそうです。そういう気力が、すごいな、と思います。
なぜなら、自分にはそういう気力がないからです。自分の故郷が好きかと言ったら、そうでもないです。根無し草のように、自分の居場所を探しているような気がするのです。
一生懸命頑張ることがあっても、自分の安心できるところがないような感じがいつもします。だから、「唐津が好きです」と言い切れる人はすごいな、と思うのです。
ともかく、提供していただいた佐賀牛のステーキは本当においしくて、大満足のランチでした。
ちなみにお店には「ユーリ…」のお部屋があって、DVDを流したり、ぬいぐるみが置いてあったりして、ファンにはたまらないらしいですよ。原作者の久保先生もキャラバンに来て、色紙もたくさん書いていったみたいです。
今日は、唐津のシーサイドホテルに泊まります。
ホテルのお部屋にナッツクラッカーがあったので、それを貼り付けます。
演奏会まであと19日。
]]>極楽錠前のKすがです。
今日はダニエレ・ブラジェッティ先生にレッスンを付けてもらいました。
前回のレッスンは田中せい子先生で、ギースベルトの教本とペプシュのソナタを題材に、脱力を中心に見ていただきました。今回は極楽錠前演奏会の「くるみ割り人形」のワルツの1フレーズを題材に、じっくり見ていただきました。
で、そのワンフレーズで1時間まるまるレッスンだった…!!!
見ていただいたのはこれね↓
ソプラニーノもバスもかぶってるよ!
1時間何をやっていたか、というと、まず、吹き方チェック。私は左手の手首が動いてしまっているので、動かさないようにすること、左手の人差し指親指で笛を持ちそうになっているので、それもしないことを指摘されました。基本の、右親指、唇、左手の中指か人差し指の3点でバランスよくリコーダーを持つようにとのこと。姿勢チェックして、笛の角度を45度以上に上げて、笛を持たないようにするのも、繰り返し言われました。
その後、しばらく、左手の親指を外して上のフレーズを吹くことを練習しました。音が変わってしまうので、セロテープで後ろの指孔をふさいで練習しました。
その次は部分練習で、一部を取り出して反復系に変化させて練習します。例えばラシドレドシラ、とか、ラシドレミフレドシラ、ラシドレミファミレドシラ、ミファソファミレ、など部分的に取り出して繰り返します。
次は上げ指をうまくやる練習。例えば、赤枠の3小節目の♯レ→♯ファのところで、上げ指が速くいかないと、間でポコっと音が鳴ってしまいます。そういう時は、♯レ(0134)→♯ファ(12)の間に、ソ(1)を経由させます。♯レ(0134)→ソ(1)→♯ファ(12)と言う指にして、最初は3つの音を同じ音価(四分音符)で演奏します。次に、♯レを付点四分音符、ソ(1)を八分音符、♯ファを四分音符で吹きます。次はレを複付点四分音符、ソ(1)を16分音符、♯ファを四分音符で吹きます。こうして、ソ(1)を少しずつ短くしていきます。極限まで短くすると、♯レ→♯ファがきれいに決まります。で、この作業をポコっていう音がするところ、全部でやるんです。
この練習で、できるようになっても、またもとの楽譜にもどると、ポコって音がするようになったりするので、一朝一夕ではできないのですが…。
で、また部分練習して、左手の親指外して練習して、を繰り返す。姿勢チェックして上げ指練習して、左手親指外す練習して…。
こんな感じで、1時間経過…。汗びっしょり…。
でもすごく勉強になったと思います。Snの師匠&Bassのセッシーもぜひ参考にしていただけたら幸いです。
ほかの方も、きっとこういう難しいところを練習する時に、役に立つかもしれません。
でも、最初に楽譜をダニエレ先生に見せた時、「ん?」みたいな顔をして、ちょっと吹いてくれたのですが、ダニエレ先生でも初見ではうまくいかないところがあったんですよ!!!とはいえ、練習のやり方を教えてくれている最中にどんどんできるようになって、あっという間に完ぺきに吹けるようになっていましたけどね。ダニエレ先生のすごさを見せつけられるとともに、ダニエレ先生ができない楽譜を書く人って、どうよ?とも思いました。後半のOの後も吹いていただいたんですけど、これも「ん?」って感じだったよ。きっと、テナーのNからは、もっと「んんん?」なんじゃないのかな~。さすが地獄のくるみ割り。
演奏会まであと20日。(今日のダニエレ先生)
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極楽錠前のKすがです。
先週、プログラムにつけるおまけの作成で1週練習をお休みしました。合宿以来の練習になります。
人数もそろっていなかったし、合宿から2週間空いてしまったので、やっぱり合奏も少し元に戻った感じがしました。
来週、再来週の練習で頑張れるといいですね。
今日は2部の演奏時間とセリフの時間を計ったので、だいたい演奏会全体で2時間くらい(1部50分+休憩10分+2部60分)になることがわかりました。これ以上は長くならないように気を付けたいところです。まあ、本番は練習より少し早めのテンポになることが多いので、大丈夫でしょう。あとは、スライドのタイミングとか、曲→セリフ→曲の間がうまくスムーズに流れてくれるといいなと思います。
まだまだスライドも道半ばな感じですが、来週に向けて精力的に師匠が制作してくれることでしょう。そういう私もイラストを描かなければ…。がんばります。
ところで一昨日の火の鳥クイズ。正解はフレディー・マーキュリーを燃やす地獄の業火が火の鳥のイラストに使われている、でした。正解は1番:会計担当、2番:大田区でした。記念品は会計担当&大田区の極楽の17年をA4判の写真にまとめてプリントしました。ちゃんと、二人分別々に作ったよ。良かったらみんなも見て楽しんでください。
それじゃ、おやすみなさい。
あと21日。本当に3週間程度しか、ないんだね。
]]>極楽錠前のKすがです。
明日はおこちゃんも加わって練習です。2部の「現在・過去・未来」ステージの演出含めた練習もできますね。
ぜひ、時間も測りたいところです。またアンコール練習もしたいですね。
そうそう、アンコールは繰り返し時も1カッコの繰り返しアリにしますので、ご承知おきください。
おこちゃんは、ふだんあまり会わないのですが、話をすると私にはいつも考えさせられることを言ってくれて、すごいなあと思っています。自分の気持ちの持ちようをどうしたらいいのか、というヒントをくれるような気がします。
先日、おこちゃんが言っていたのは、「自分の旦那は、わりと自分に関係ないって感じで楽にさせていてくれるから、とてもいい」ということです。なんか、自分ではすごく人と関わりたくなってしまうので、そういうのもあるのかな、と思って自分の在り方を考えさせられました。とは言っても、私自身が変わるわけじゃないとは思うんですけどね。それに、おこちゃんが「関係ないって感じ」と思っていられるのも、もしかすると、もっとメタなレベルでは「旦那と関係ある」という信念があったうえでの、現象として見えているところの「関係ない」ということかもしれない。なので、単純に「関係ないみたいなのがいい」ってことでもないんじゃないか、と私は推測しています。
そのあたりの距離感が私はうまくなくて、いつも辛くなったり寂しくなったり、無関心になりすぎたりしてしまうかもしれません。適切な距離感があるのかもしれないけど、私は不器用なんでしょう。なかなかうまくいかないですね。
明日は練習です。がんばりましょう。
あと23日。
]]>極楽錠前のKすがです。
ちょっと用事があって(演奏会関連だけど)昔の写真を見ていたのですが、なんか見ていたら辛くなってきてしまったので、もう見るのをやめることにしました。
なんか、みんな楽しそうなんだけど、自分はどうだったのかな、とか思ってしまって。
昔、エーデルワイスブラスオーケストラにいたときの写真とか、なんだか、今と気持ちが違いすぎて、悲しくなってきた。
極楽も、そんな感じになるのかな。だんだん楽しくなくなるのかな。
今回の演奏会プログラムで第1回から第9回を振り返ってみたけど、なんだか昔のほうが、楽しかったような気がする。
昔も辛いこともあったんだけど、昔のほうが若かったからなのかな、勢いで何とかなってたのかもしれない。
いろいろ考えてたら、辛くなってきた。
最近、辛くなると、後頭部の下の方がしびれてくるんだよね。なんだか、脳みそがだんだん死んでるような気がする。
がんばって、ブログで楽しいことも辛いことも話してきたけど、楽しいこと辛いことも、なんでも、だんだん他人とは関係がなくなっていくんだな、っていうような気がしてる。周りからは、何があっても自分で一人で満足することを求められている気がする。でも、私はだれかと関わっていたいなって思ってしまう自分がいて、そういう自分を持て余して辛い。そして、関わったらかかわったで、自分を受け入れてもらえる感じがなかったりして、また辛い感じがしてる。
一人でおいしいご飯を食べるのと、みんなでおいしいご飯を食べるのと、どっちが嬉しい?私はみんなでおいしいご飯食べたいけど、みんな忙しいし、いろいろ事情があって無理だから、自分一人で満足する方法を考えなければいけないんだ。無理して誰かと一緒にご飯食べても、なんだか罪悪感にさいなまれたり、自分がわがままだって思ってしまって、次にはみんなに迷惑かけないようにしようって思っちゃう。私にご飯一緒に食べようなんて、なかなかみんな誘ってくれないし。私が誘えば、都合が良ければ付き合ってくれるけど…。それが、今の私の状況。
Oはらさんに、「みんな、私のこと誘ってくれない」って言ったら、「俺だって誰も誘ってなんてくれない」って話になって、結局「世の中そんなもんだから、我慢しろ」ってことになってしまった気がする。まあ、そうかもしれない。世の中、自分から声をかけなければ、何も起こらないのかもしれない。Oはらさんも、誘ってばかりで大変なこともあるのかもしれない。けど、私は、なんか辛くなってきたよ。今は、つらいってことを周りの人に言うのも良くない感じがしてる。(なんとなくだけど)
そんな、自分の周りの雰囲気に変化をもたらしたいので、自分の周りを変えることにしたよ。自分の欲しいストロークや反応を得られる場所を求めてもいいんだと思う。だんだん昔より自分の周りの人が疎遠になっていくのを、悲しい気持ちで見ていなくてもいいんだと思う。
最近は、そんなことを考えています。
演奏会まであと23日。
]]>極楽錠前のKすがです。
あと演奏会まで24日となり、いよいよ演奏以外の仕事も佳境に入ってきました。
ホール関係、プログラム、スライド作成、衣装、演技、プログラム用おまけ作成等、皆様いろいろありがとうございます。
皆様のご協力で、かならずや素晴らしい演奏会になると思います。
一昨日に引き続き、私は今日も絵を描いてみたよ。スライドに入れられるといいな。
この絵の一部には「極楽と地獄」のフライヤーで使った素材が使われているよ。どこに使われているか分かった人がいたら、教えてね。
私から記念品を差し上げます。
じゃあ、おやすみなさい!
演奏会まであと24日。
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極楽錠前のKすがです。
自慢じゃありませんが、私は記憶力に自信がありません。というか、忘却力はそうとうなもんです。人の名前、地名、年号、日付、いずれもかなりの確率で忘れることができます。日本と世界の歴史で憶えている年号はただ一つ、1600年関ケ原の戦いと東インド会社設立くらいのもんです。
世の中の人は、すごく人の名前、地名、年号、日付を憶えていられるので、いつも驚愕してしまいます。例えば、自分が何年から何年までどんな仕事を担当していた、とか、その時に会った人の名前とか、どこどこに行ったとか、すごくよく覚えていらっしゃる方もいるので、すごいなって私は思うのです。私はといえば、ついこの間行った中国の会社の社長さんの名前は、まったく憶えられませんでした。中国語の発音が難しいせいもありますが、訪問した会社の名前"Chengdu Jiangzhong(チェンドゥー ジャンゾン)"というのも、今週は口から出てこなくなってしまって、他人に説明するのにも困りました。
なんていうか、そもそも私の脳みそって、ちょっと痴呆が入ってるからいろんなことを憶えていられないんです。なんとか、自分の考え方の形を作っていられるのは、どのようなことが重要なのか、という判断と、そのロジックをどう構築するかということを忘れないでいられるからだと思います。論理的な道筋があることは、なんとか記憶に残りますが、それがないと、まったく記憶ができないという感じなのです。
もう一つ、私が痴呆老人と同じだなって思うのが、「感情と結びついた記憶は忘れない、いや忘れられない」ということです。例えば、自分が理不尽な扱いをされてしまった経験は、どうしてか記憶に残ってしまう。とても感動したことや、自分の人生に大きな意味があった出来事、変化はやはり忘れないのかもしれません。そういう点が、痴呆老人的自己と認識しています。
これから、いろんなことを忘れていくのかもしれないけど、できれば、楽しかったこととか感動したことを憶えていて、嫌なことを忘れられたらいいのになと思います。
演奏会まであと25日。
]]>極楽錠前のKすがです。
昨日、一生懸命絵を描いていたら、疲れてそのまま寝ちゃった。
えーと、時間がないので、昨日書いた絵を掲載しておきます。
後で、演奏会のスライドに使ってもらいたいな。連作であと4枚あります。
演奏会まであと26日!
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極楽錠前のKすがです。
スタンフォードの心理学講義 人生がうまくいくシンプルなルールに記述してあることについて、昨日のお話とは違うことを紹介したいと思います。
自分にとって大事だけれども、長い時間をかけてやっていく必要があること、すぐに明日やらなければならないということはないけれど、やっていきたいと思っていることを実現させるために、どのようなことをしていったらよいのか、と言うお話。
例えば、著者は「論文を書くこと」は自分にとって大切だけれど、すぐ明日やらなければいけないことではないので、後回しになりがちだと言います。我々にとってはどうでしょうか。長いこと温めていた仕事の企画をまとめること、脱力の問題について対策を考えること、次の演奏会の構想を練ること、親しい人との関係を考え直すこと、人生の目標について考えること。そんなことが、思いつくかもしれません。これらの課題は、たしかに明日解決しなければならないことではないかもしれません。毎日の仕事や、日常の雑事に忙殺されていて、これらのことを考える時間はなかなか取れないという人も多いかもしれません。ですが、これらの課題を長いことほおっておいた挙句に、自分が考えていたことが実現しなかった場合、人生の意義や自分の満足の度合いは低くなることが容易に予想できます。
では、このような、重要であるけれど緊急の問題ではないことについて、どのように取り組んでいけばよいのか、著者はどのように語っているでしょうか。著者は、「一定の時間を決めて取り組む」ということを推奨しています。例えば、一日に30分でも、決めて取り組む、週に2時間どこかでまとまった時間を取る、そうして自分が長期的で大事な課題に取り組むことを自分で決めてしまうのです。その頻度やタイミングは課題の大きさやリミットの時間に寄りけりかもしれませんが、いずれにしても、自分の意志で取り組んでいくことが大切です。
自分の欲求のなすが儘に生きていくことも楽しいかもしれませんが、自分の人生で実現したいことに腰を据えて取り組むのも大切なことなのかもしれません。仕事にしろ、趣味にしろ、大切な関係の人とのことにしろ、自分の大事なことを考えたり、行動したりする時間を、十分に持てることを願っています。みなさんの人生が充実した満足のいくものでありますように。
演奏会まであと27日。
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極楽錠前のKすがです。
スタンフォードの心理学講義 人生がうまくいくシンプルなルール は60万部売れたベストセラー本です。
日頃自分の人生でうまくいっていないと思うこと、ビジネスや職場や家庭の中で、自分の思うような状況になれないことについて、心理学の観点から、様々なサジェスチョンを与えてくれます。
例えば、モチベーションをどう高めるか、について…。
人間は常にいろいろな事にモチベーションを持っており、やる気を使い果たしてしまったり、なくしてしまうようなものではないと言われているそうです。やる気が起きないという不満がある場合は、たいていの場合、自分が持っている強いやる気を満足させる具体的な方法を見つけられないだけだそうです。
すべての人が持っている「最も基本的な、前向きなモチベーション」を想起させるのは次の3つの欲求だそうです。
?関係性:他者やコミュニティーや大切にしている目的・目標とのつながりを感じること
?自主性:人生の質を左右するような行動や選択を自由にとれること
?熟練:取り組んでいることに対する能力があり、貢献できるものがあることが自分で感じられ、個人的に満足できるような上達や学びがあること
こうしたモチベーションが満たされたとき、人は幸福感を味わい、健康になり、人生に満足するようになります。こうした欲求を満たすのに何かをするのが役に立つとき、「やる気がある」という状態になるのです。
上記の3つ以外に「不快なことを避けたい」「すぐに満足したい」といった相反する(生存本能に基づく)欲求もありますが、こちらの欲求に焦点を当ててばかりいると「瞬間の喜びや満足」のみに惑わされ、人生の大きな意義や幸福に近づけない可能性があります。
ところで私は??については十分満足していますが、?については、あまり満足を感じられていません。もともと、自分が他者とのつながりを感じにくい性格であるということは間違いないのですが、自分なりにいろいろ努力はしているつもりです。いや、してきました。
ただ、自分の努力のわりに、満足感が得られていないのであれば、それは自分の方法が間違っているのか、対象にする他者やコミュニティーが間違っているかどちらかなので、何かを自分で変えていかなければいけないと思っています。
趣味や仕事での貢献について、お互いに認め合うことは大事だと思います。が、自分の弱いところやみじめなところも含めて、理解されているとか、愛してもらえているという感覚が、私は欲しいです。
私に繰り返し繰り返し襲ってくる、人生に対する恐怖やおそれは、一生無くならないのかもしれないです。それに対して、?や?の満足度を上げることはあまり意味がなくて、やはり?をなんとかしなければいけないように感じています。
私にとっては、「仕事うまくできた」とか「さすがだね」とか「できて当たり前(だから何も言わない、のが私には一番つらい)」という他人からの反応は、あってもいいけど、一番欲しいものではない。
「一緒にがんばってるね」とか、「仲間だよ」とか、甘えてもいい、意味の分かんないことを言ってもいい、ということがあればいいのになと思います。
あと28日で演奏会。おやすみなさい。
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極楽錠前のKすがです。
先日行われた合宿の録音を聴いて、フォルテになった時の音程について、どうしようかなと考えていました。
リコーダーは息を強くすると音程が上がり、弱くすると音程が下がるという特徴を持っています。
(ちなみにクラリネットは逆で、息を強くすると音程が下がり、弱くすると音程が上がります)
ですので、あまり強く吹きすぎると、音程が上がってしまって、周りと音程が合わないということがあります。
フォルテになった時に音程を合わせるために、プロの方はシェーディングや、下げ指使い(替え指)といったテクニックを使います。が、我々がそういったテクニックを演奏会までの1か月でマスターするのは難しいでしょうし、例えばそういったテクニックがあったとしても、ソルフェージュができていない限りはうまくいかないことが多いです。
そうです。音程を合わせるのには、やはりソルフェージュが重要だなと思っています。自分の癖を把握するために、最初はほかの人の音程に対してどのくらい自分が低いか、高いか、確認するのは大事なことと思います。しかし、「ほかの人の音程に合わせよう」という意識は、時に意図した結果にならないことが多いように思います。特に、ユニゾンのメロディーの場合、リードしている人に合わせるという意識は大事ですが、それ以上に自分の頭の中でメロディーの音程が鳴っていることがとても重要です。基本的に、「誰かに合わせるのではなく、共通に想起されるのメロディーの音程に合わせる」という意識を持って、自分のリコーダーから出る音程を頭の中で鳴っている音程に合わせるのです。その方が、結果としてはほかの人と音程が合うように思います。
例えば、「ラシドーー」というフレーズがあった場合は、ラとシの音程の差、シとドの音程の差について、自分なりにソルフェージュをします。このソルフェージュがうまくいっていれば、最初に全員で音程を合わせた後、ばっちり音程が合うはずです。(現実はそううまくも行かないかもしれませんが)
せい子先生から紹介された練習方法で、Cdurの曲であれば、チューナーでずっとCの音を出していて、それに対して自分の音程がどうなっているかチェックするという方法があります。主音に対しての音程差について、自分の癖を知るのに良い方法と思います。が、これも自分の頭の中に音程を作っておかないと、チューナーの音程に対して高い、低いということばかり気になって、あまり上達しないという結果にもなりそうです。
重要なこととしては、「自分はどう吹きたいか」「どういった音程を作りたいか」を明確にイメージすることと思います。和音であれば、自分が主音か5度か3度か、それ以外の7度、9度なのか、ということを意識する。主音に対して、どういった音程で音を出していったらよいのか、ソルフェージュしてみる。ユニゾンのメロディーであれば、まず、そのメロディーを鼻歌で歌えるようになることを目標にする。その後、楽器でその鼻歌の音程で吹けるのか検討する。
そんな感じのことをやっていくと、1か月くらいでもずいぶん音程があった感じになれるのではないか、と思っています。
今週末は合奏練習がありませんので、もしも、個人練習をされる場合は、こんなことを考えながら、やってみたらいかがでしょうか。昨日の指さらいの練習とともに、音程のことも考えてみましょう。
演奏会まであと1か月もありませんので、頑張っていきましょう!
第10回不定期演奏会まであと29日。
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極楽錠前のKすがです。
本日は、リコーダーの指回しの練習方法を紹介します。日頃なかなか練習時間が取れない方もいると思いますが、本番までに時間があるようでしたら、こんな練習方法も試してみてください。なお、これらの方法は私のオリジナルではなく、一般的に木管の指回しで使われている方法です。多くの方が取り入れて、効果がある方法ですので、試してみる価値はあるのかな、と思います。
(1)リズム変え練習
非常に一般的な木管楽器の指回し練習です。例えば♬♬(タタタタ)といった形に音符が並んでいるときは、♬♫(タタタンタン)、♫♬(タンタンタタ)または、タタンタンタという風に、リズムを変えて練習します。この方法によって、自分の指がスムーズに動かないところを確認できます。さらに苦手なリズムを練習することにより、どの指も平均的にスムーズに動かせるようになります。
(2)フレーズの後ろからだんだん音を足していく練習
例えば♬♬♬♬=ドレミファソラシドというパッセージがあったとします。この時、「ドレミファ」から練習するのは素人です。音の到達地点を思い描きながら、練習するのはまずは「シド」です。シドだけがナチュラルに演奏できるよう、心がけます。次は、「ラシド」を同じように練習します。その次は、「ソラシド」の練習。一音ずつ、後ろから音を足して行ってください。最初のあたりは聴こえなくても、最後、音程が上がったところでしっかり聴こえて指も回るようになります。
(3)上げ指を意識する
どうしても、リコーダーの場合、指で楽器を持ってしまうことがあります。これを押しとどめるのが上げ指でしょうか。いつもより少し上げ指を意識すると、音の変わり目で発生しがちな「ポコっ」という音も発生確率は低くなるようです。
皆様、遅くまでありがとうございました。あと30日で演奏会です。
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極楽錠前のKすがです。
心理学やコミュニケーション論で、出てくる言葉で「ジョハリの窓」というのがありますね。
自分が知っている「自分の特徴」、他人が知っている「自分の特徴」を、その適合状態ごとに4パターン(窓のように見える枠)に分類することで自己理解のズレに気づき、それを受け入れることで他人とのコミュニケーションを円滑にする、心理学ではよく使われているフレームワーク(手法)です。
人間は、この4つのフレームを必ず持っており、「解放の窓」と「盲点の窓」の内容がずれていると、他者とのコミュニケーションが難しくなると言われています。また「秘密の窓」が大きすぎると、やはりコミュニケーションに難を生じることもあるようです。
ですので、できるかぎり「盲点の窓」「秘密の窓」にある自己を「解放の窓」に移行させる方が、コミュニケーションを円滑にさせることができるようです。
ちなみに、「ジョハリの窓」はジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリー・インガム (Harry Ingham) を合わせた名前から来ているようで、「浄玻璃の鏡」から来ているわけではありません。でも、閻魔様の前で過去の自分を見せる鏡=浄玻璃の鏡と、ジョハリの窓の機能が、なんだか似ているような気がしちゃいます。
「盲点の窓」を心理学のワークの中で知っていくのは、興味深いし自己の理解が進むと思います。が、普通の生活の中で自分の「盲点の窓」を他人に指摘されると、とても嫌がる人もいます。自分の理解は完ぺきだと思っており、他人から見えている自分は、「他人からの誤解だ」と思ってしまう。ですが、うすうす自分でもその点に気づいていて、無視している場合もあるので、それを他人に気づかされると、とても腹立たしく思うわけです。(もしも、他人からの指摘が本当に的を得ておらず、まったく自分の性格に関係ない場合は、わけがわからず、キョトンとしてしまうでしょう。)
人間は、ジョハリの4つの窓をある程度の大きさやバランスで持っているので、どんな人でも自分の自己理解が完ぺきということはありません。他人からの指摘が腹立たしい場合は、むしろ自分が無視をしたい自己の性格を指摘されているのかもしれません。
閻魔様の前で「俺はそんな性格じゃない!」と言ったところで、浄玻璃の鏡が正直にあなたの心を映します。誰かからの指摘に、やけに腹立たしいことがあった時には、ジョハリの窓と浄玻璃の鏡を思い出してみてください。
演奏会まであと31日。
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一昨日まで合宿だったわけですが、セッシーがアップしてくれた合宿の録音を聴きながら、ブログを書いています。
だんだん、皆さんのコンセンサスが取れてきて、安定したテンポで演奏できるようになってきましたし、テンポの変わり目も合うようになってきました。本番一か月前の感じなら、十分良い感じだと思います。これを忘れないように、後一か月頑張っていきましょう。
欲を言うと、フォルテになった時に、音程がかなり上がってしまい、音程が合わなくなるのが気になりました。むしろ、楽な感じで息をいっぱい入れる方向で、音圧を高くしないで、音量を出す感じにしたら、良いのではないかと思います。くるみ割りはかなりいい感じなのですが、ワルツでの音程が各所で気になりました。くるみ割りのほかの曲の仕上がりが結構良いだけに、とてももったいない。
会計担当に質問されたのですが、演奏している最中(本番とか)に、あまり目立たないで脱力する方法として、マインドフルネスのボディスキャンを応用してはどうかと思います。本番の最中、もしも自分の緊張していると思ったら、緊張している体の部分に意識を持って行ってみます。そこに自分の血液が流れていく感じ、筋肉がほぐれるようなイメージを思い浮かべることで、あまり動かない
でも脱力できるかもしれません。
演奏会まであと31日、頑張っていきましょう。
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