演奏会が終わりました。
本番直前まで「あれも心配だなーこれも大丈夫かなー」と心配性の私は考えていましたが、実際は…
本番良かった!
怒涛の2時間、細かい事故はありましたが、全体で考えると皆さんの集中力が一番高まっていて、全部のエネルギーが集結できた本番でした。こんな本番をやれるなんて、本当にみんなすごい!
いやー、私もえらかった!よくがんばった!
やり切った感、そして皆様への感謝と尊敬の気持ちで、本当に幸せな一日を過ごしました。
打ち上げもとても楽しかったし、いろいろな話ができてすごく良かったです。
2次会は家で演奏会のビデオを見ていたのですが、皆さんが見ている間に寝落ちしてしまいました。
やっぱり疲れていたのでしょうか。最近は寝ている間もいろいろな事が心配で、途中で起きて寝られなくなったりしていたのですが、そのまま今日は朝までぐっすり寝られました。気持ちも緩んでいたのでしょう。
また次回の不定期演奏会、何をしようかなーと思いながら、今回のブログはここで終了です。
次回は「神も仏も極楽錠前」です。
例によって何も考えていません。また一から始めます。そして、次回もいろんなことがあるでしょう。次は、また同じではないのです。「新たなる旅立ち」を今回果たした我々に、また次なる試練が待ち受けているかもしれません。しかし、次の演奏会も必ずや素晴らしいものにすることを誓い、筆をおきたいと思います。
皆様、今回もお付き合いいただきありがとうございました。
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本日、最後のリハーサルが終わり、いよいよ明日本番です。
本日は、初めてブルーバードのバレエ合わせを行いました。
衣装も踊りもとてもかわいくて素敵!曲もリコーダーにとても似合っていてかわいいです!
ジゼルもとても雰囲気があって良いです!やっぱりバレエ女子のかわいさって、目を惹くものがあります。
前回のステリハでは口笛、ダンス、ナレーションが入りましたが、バレエも入っていよいよ本番ですべてがそろいます。
そして、リコーダーもやっと全員がそろって完全な曲になりました。
皆様、今日まで本当に厳しい練習、合宿、そのほか係のお仕事など、頑張ってきましたね。
団員はじめ、ご協力いただいたみなさんに本当に感謝申し上げます。
努力の甲斐あって、とても素晴らしい演奏会になること、間違いないと思います。
演奏にも、企画・演出も、プログラム、お土産などなど、普通のリコーダーの演奏会では味わえない驚きがあると思います。
そして最後にはやはりサプライズが…。
最近恒例になってきたから、皆さん飽きているかもしれませんが…。
ということで、明日をお楽しみに!会場でお待ちしております!
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あと3日で演奏会です。今日はステリハの録画を見て、本番に向けてのイメージを高めました。
ステリハでは全体の流れが確認できて、出入りなども含めて、スムーズにできるようになったと思います。
一方で、演奏の細かいところでまだできていないところが散見され、いよいよ本番まで頑張らねば、と思った次第です。
やはり聴きあうということが大事ですね。もちろん、楽譜の通りに吹けることも大事ですが、この時期になってくると、いかに全体の音楽に合わせて演奏できるかということを、自分で認識して修正をかけるということが必要です。
本番でも自分の音だけ聞いていると、周りとの関係がうまくいかなかったりしますね。
なんていうか、周りも見えつつ自分の演奏も聞こえている、というようなそんな状態に持って行ってもらえるといいなー。
焦っていると周りが見えない、ってことは良くあります。本番なんかそうなりがちですが、一方で、本番の演奏に集中して、その結果自分の演奏もクリアにでき、周りも聞こえるという理想的な状態になることがあります。いわゆる、「フロー状態」ってやつですね。この状態を目指して、演奏に集中していきたいと思います。
あともう少し、頑張ります!
]]>極楽錠前のKすがです。
あと3日で第11回演奏会です!楽しみです。
皆様にぜひご来場いただけたら、うれしいです。
さて、人間は習慣の生き物で、練習や勉強、体力作りなども、習慣にしてしまうと苦痛なくできるようになります。
何かやらなければいけなくなったときは、まず1日1分だけでもやると良いです。
毎日1分やるのなんて、簡単です。それを1週間、2週間と続けると、1分だけではすまなくなってなんとなく長くなったりします。
でも長くなることは大事ではなく、毎日続けること。
そうすると、やらないことが気持ち悪くなってきます。習慣化です。
習慣化すると、苦痛なく続けられ、知らないうちに上達したり完成形に近づいていきます。
まずは1分、何かを始めてみませんか?
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その昔、ソクラテスは他人と議論をしているときに「無知の知」について語った。
自分は何でも知っているわけではないが、自分は何か知らない、ということを知っている。
それで、「自分が知らないこと」=「無知」であるということを知っている = 「無知の知」なわけですね。
これが結構偉いということは、最近になって、しみじみ感じることができるようになりました。
自分自身が、謙虚に「これは知らない」と思えることはとても重要だと思います。
会社でも、役職が偉い人、年齢が上の人は「知らないと言えない」ことがあるようですが、これは周りにとっても本人にとっても不幸なことのように思います。「知らないと言えない」ことが不幸なのに、それをやめられない。周りに「知らない」という顔ができない。そんなことがあるような気がします。
なんででしょうね?
そういう人は、「知らない」と言うことが、まるで何かに負けた、とか、劣っているという風に思うからかもしれません。
知らない、ということは、知らないというだけです。人間、すべてのことを知ることはできませんし、人によって経験できることも違います。得手不得手もあります。だから、知らないということにそれほど負い目を感じる必要はないはずです。でも、負い目を感じてしまうのは、年長さんになってきて、役職も偉くなってくると、すべてにおいて自分が他人より勝っていると信じたくなってくるからかもしれません。
そうなってくると、知らないことも知っているようなふりをして会話をせざるを得なくなり、周囲はそんな本人の状況に気づいていながら、注意することもできない…。なぜなら、その人が一番嫌うのは、他人に(特に目下の人間に)「知らないこと」を指摘されること、それでまるで恥をかかされた、と思うこと、だったりします。あー、なんだか、とても面倒くさいことになっていますよね。
こういう心理はどこから来ているのか、やや疑問に私は思うのですが、昔から年長さんを敬うべき、とか、3歩下がって、ということわざがあるように、人間は「メンツをつぶされる」のが一番嫌なのかもしれんなーとも最近思っています。なので、逆に言えば、若手が「メンツをつぶさないで、年長さんに上手いこと教えてあげる」みたいなテクニックがあると、年長さんも喜んで乗ってくるのかなーと思います。
ただ、あんまりこういうテクニックばかり考えても、私は面白くはないのですがね。ぜひ、年長さんには率直に「知らない」と言えるようになることを望みたいですし、若輩者はあまり物おじしないでいろんなことが言える世の中であってほしいと思います。「知らない」と言える年長さんは、「これこそ偉い人!」と私は思いますし、逆に「知らない」と年長が言うのを聞いても馬鹿にしない若手であってほしいと思います。
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極楽錠前のKすがです。
山の日、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
夏と言えば、海、山、バーベキュー、スポーツ、ビール、スイカなどいろいろ思いつきますね。
夏場もリコーダーの練習なんて、考えられない方もいるかもしれませんが、我々極楽錠前は演奏会に向けて絶賛練習中です。
16分音符で早いパッセージなど、リコーダーをどのように練習すると良いか、というと、
「左手親指外し」
が効きます!
とくに、レミファミレミファミ、のような左手の中指、人差し指、薬指のクロスフィンガリングが出てくるパッセージ、
これは左手親指を外して練習し、その後左手親指を付けてみるとすごく良くできる場合があります。
リコーダーの演奏の際、左手の親指はついつい力が入ってしまいます。
左手親指はリコーダーを支えたい、という感覚になってしまうことや、人差し指+親指または中指+親指でリコーダーを
持ちたい、という感覚になってしまうことがあるからです。
この感覚をなくして左手親指を柔らかく、動きやすくするために、いったん左手親指を離して練習します。
このことによって、ほかの指の力も抜けて、その結果全体的に指の動きが滑らかになります。
指が動かないと、動かすためについつい力んでしまいがちですが、指の力を適切に抜いてあげることが
結果としては滑らかな動きにつながるのです。その力の抜き方を複数知っておくと、自分がうまくできないときに
力を抜きながら練習することができるようになって良いですよね!
あと6日で演奏会です。
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バッハのコントラプンクトス9番のステリハの演奏を共有します。
本日はステリハでした。いよいよ本番まであと1週間になり、演奏だけではなくステージ全体の練習を詰めています。
なんかねー、良かったよ、今日は。
本番がめっちゃ楽しみになってきました。
先週いろいろ懸案事項がありましたが、それもだいぶ改善され、あともう一息のところになりました。
今日はお土産(演奏会の時に配るお土産)も届き、これがまたいい出来で…。
あー本当に本番が楽しみです。
ぜひ皆さんに聞いてほしい、見てほしい、感じてほしい。
演奏する喜び、踊る喜び、歌う喜び、口笛の、演技の喜び、生きる喜びを!
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極楽錠前のKすがです。
先日、私がCSR関係の仕事をしていてSDGsなんかにも関わっているというお話をしました。
その関連の話ですが、今日は気候変動の話です。気候変動と言うと、だんだん二酸化炭素が多くなり、地球温暖化が進んで、災害が多くなってくるとか、「地球温暖化対策のための税」という名前の税金がかかっている、その税率が上がるかも?などという難しめの話もあるのですが…。今日はそういうメンドーな話ではなく。
職場の若手A,B,C(と言っても30代前半〜後半)と、気候温暖化が企業に与える影響について、ブレーンストーミングをしていた時の話です。
地球温暖化で何が起こるか?
A「うーん、正直言って、よくわかんないんすよねー。地球温暖化って。単に暑いっていうか」
Kすが「まあ、そういわずに想像力を働かせて」
A「例えば、工場で爆発事故が多くなるとか」
C「え、なんで?」
A「暑いんで、爆発するんすよ」
B&C&Kすが「???」
A「爆発しないっすか?」
B「だって、10度は上がらないと思うけど。なんでそんなんで爆発するの?」
C「じゃあ、津波が起こるので、防波堤が必要です」
Kすが「防波堤ねー」
C「防波堤が必要ですよね。全世界の海岸沿いに全部防波堤作りますか」
A「防波堤、これで大丈夫です!」
B「AさんCさん、なに馬鹿なこと言ってるんですか!そんな弱気な意見聞きたくないし、馬鹿っぽいんですけど!」
いやあ、なんつうか、もう、3人3用に素敵で楽しくて!
こういう人たちは、なるべく勉強しないで、その素敵さをキープしてほしいと思ってしまう私でした。こういう、その人の考えていることが出てくる発言、文章って好きさ。
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極楽錠前のKすがです。
毎日暑いですね!皆さんは、暑い時にどう過ごしていますか?
TVでも言われているように、室内では適切に冷房を使って熱中症にならないようにするのが大事。
外出時はこまめに水分を取って、汗をかいて体の温度を下げる必要がありますね。
私は昨年の夏、食品用の保冷剤を使って外出時に体を冷やしていました。
保冷剤を手ぬぐいに入れて、首に巻き付けると、外出する時でも首回りと頭が冷えて、快適です。
長時間外出の場合は、大きめの保冷剤を使うと長持ちします。
世の中には専用のスカーフ、マフラーが売っているようですが、別に専用である必要はなく、
手ぬぐいで十分だし、手ぬぐいだと汗を拭けるのでこれも便利です。
最近は可愛い柄の手ぬぐいも売られているので、服装に合わせることもできそうです。
今日も暑いので、熱中症にならないように気を付けてくださいませ!
]]>極楽錠前のKすがです。
演奏会まであと10日、です。
プログラム、お土産作成など精力的に進んでいますが、演奏面では…。
皆さんいろいろ事情がありますが、これから10日、頑張って練習していきたいところです。
脱力しつつ、曲全体の流れと、自分のパートの状況を考えて練習していきたいですね。
脱力には自分の体の状況をモニタリングすることが大切です。
自分の体の状態を知るのは、実は難しいことです。何度も意識を向けてみて、それで何となくわかることもあります。
ぜひ、自分の体に意識を向けてみてください。
今週土曜日はステリハです。それまでに自分ができることをやっていきたいと思います。
]]>極楽錠前のKすがです。
毎日暑いですねー。今週になって急に暑くなり、ややへばり気味です。
とはいえ、運動していると、汗が出やすくなっているらしく、熱中症にもなりにくいらしいですよ。
軽いウォーキングなどから始めてもいいかもしれませんね。
本日ご紹介するのは、正義の教室 善く生きるための哲学入門。
飲茶 著、ダイヤモンド社発行
最近よくありがちな、学問のおまとめ本です。倫理についてのすごく大雑把なまとめを、4人の学生&先生のやりとりで解説するという本。功利主義、自由主義、宗教主義と構造主義を、すごーくシンプルかつ分かりやすく説明してくれています。
倫理学には興味があり、いままでずいぶんいろんな本を読んできましたが、結構途中で挫折が多かった。倫理学の本は、概して用語が難しく、かつ独特の言葉遣いをする人が多い。また訳本などは、やはりその世界のことを理解している人が訳さないとわけがわからないのですが、倫理学というのが独特の言語体系があるような気がしまして、どうしても途中から何を言っているのがわからなくなってしまう場合が多かったのです。
たぶん、倫理を考える方というのは、ち密に考えて、様々なことを考えていくうちに、例外や言い訳や、様々な状況での考え方の違いを細かく説明することになってしまっているように思います。そうすると、どんどん表現が複雑になりわかりにくくなる。かつ抽象的なことが多いので、とても解釈が難しいのだと思います。
この本は、そういったことが一切ありません。私の好きな、「まじめな人が考えすぎているうちにすっとこどっこいになってしまった」、という例まで紹介してくれて、楽しみながら倫理学を学べる、正義とは何かを考えられます。
例えば、功利主義といえばベンサムの「最大多数の最大幸福」ということが有名ですが、ベンサムはこの考えに取りつかれた挙句、幸福測定機械というものを作ろうと思ったこともあったようで、どうやったら人間の幸福が定量化できるか真剣に考えていたようです。また、当時、キリスト教社会で最後の審判による復活が信じられていたにもかかわらず、「医学の発達には、死者の解剖が不可欠だし、死体は痛くないのだから、死体は全員解剖できるように法律を作ろう」という活動もしていたそうです。自分自身が死んだときにも、もちろん解剖に遺体を提供したそうです。その後、ミイラにしてみんなに見せることも、みんなのメリットになると考え、死体はミイラ化させ、大学の会議室にイスに座った形でベンサムは今も存在しているとのこと。残念ながら頭がもげてしまったようで、しばらく前まで、頭は椅子の横に置かれていた、というシュールな状況が続いていたそうです。
他の自由主義、宗教主義についても、とても分かりやすい説明がされていますので、是非一読を!
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極楽錠前のKすがです。
昨日、自分の中でずっと続いている感情が違和感である、ということを書きました。
いろんなことが腑に落ちない。腑に落ちるまで相手と話せることがない、ということが一番の原因かもしれません。
社会はいろいろな「プレ・インストール」した考え方が、OSとして存在していると思うのです。これを「プレ・インストールアプリ」としておきます。
例えば、「人に迷惑をかけてはいけない」とか「法律に従う」とか「身近な人になら甘えていい」とか、「上司には逆らえない」とか。(私はそうは思っていないことが多いですが)
ここにあげた以外にも、いろいろな「プレ・インストール」された考えがあると思うのです。「プレ・インストール」された考え方は、時代や地域や個人の経験によって異なるでしょう。おおむね、社会生活を円滑に送っている方は、多くの方が持っている「プレ・インストールアプリ」と共通であるだろうと思われます。
で、OSと同じで、各々の心にインストールされた「プレ・インストールアプリ」は、ほぼ意識しないで動きます。すべての実行アプリの基礎となるものですから、それ自体の意味合いをいちいち考えていては、作業が滞るのです。OSがマウスの動き方やクリック時の動作や、作業環境を整えてくれているから、私たちがすいすい仕事ができるように、「プレ・インストールアプリ」が私たちの心にインストールされているので、私たちは何かあった時にすぐに反応できる。
というか、反応はできるけど、考えていない場合すらあると思います。
「プレ・インストールアプリ」は便利なので、その人の考えるコスト(脳みその力)や時間を削減してくれます。また、繰り返し実行してきたことなので、「当たり前感」が伴い、そのことによって自信が持てることもメリットです。
ところが、コスト削減効果によって、「なぜ?」と問うことがなくなってしまうような気がします。「家族を大切にする」「なぜ?」「戦争はいけない」「なぜ?」「他人に迷惑をかけないように」「なぜ?」
確かに普段から、こんな問いをしていると、ひとつひとつの作業に時間がかかって仕方ありません。だから普通の生活の中でこういった問いを発することはなくてもかまわないのですが、では、誰かと話し合う時はどうでしょうか。「プレ・インストールアプリ」に常に従っている人は、そういった問いに対して、「それは当たり前だろう」「考えたこともなかった」「法治国家だから」という思考停止的な答えしか出てこないことに陥りそうです。
で、私はこういう時に、たまらない違和感を感じるのです。
自分に「プレ・インストールアプリ」がないわけではないのですが、もともと私にインストールされたアプリが他人と異なるものだったらしく、そもそもいろんなことに「なぜ?」と問いたい気持ちがあります。しかし、それ以上に、なぜ他人がある考え方に腑に落ちていなくても、その考え方に従っているのか、というのがとても不思議なのです。「当たり前だろう」というなら、なぜ当たり前か説明してほしいし、「考えたこともなかった」というなら、今から考えてほしい、と思ってしまいます。
自分では、なぜ、こうなっているのか、腑に落ちたいのです。
世界がどうなっているのか、人は何を考えているのか、知って腑に落ちたいのが自分のようです。
その大本(おおもと)になっているのが、他人や自分の「プレ・インストールアプリ」に対する違和感であり、それに対する他人の反応でもあります。
もちろん、誰かと話をしていて腑に落ちる場合もあるのはあるのですが…。頻度がどうも低いのか…。
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人間、仕事でも趣味でもうまくいくときもあれば、そうでもない時もあって、日々、気分は変わるものです。
気持ちが不安定なこともあり、変に自信がある日もあります。
ただ、主にその人が持っている、というか、その人を覆っている気分というのは、長い時間の中で変わっていくことはあっても、短期間で変わるわけではないようです。例えば、気難しい人は主に不機嫌な気分で覆われていることがおおいでしょうし、楽観的で明るい人は陽気な気分でいることが多いでしょう。
では、私は、というと、以前(といってもだいぶ昔、子供の頃)は悲しい気分だったり怒りだったりが多かったように思います。いまはそれほど悲しみに包まれることはないですが、それほど楽観的でもなく、心配性ですし、楽しい気分が続くというよりは、フツーでテンションが低いことが多いです。
それにもまして多いのは、実は違和感です。自分がどうも、この世界の異分子であるような気がしている。それは、小さい頃からずっと持っていて、今も持っているものです。家族や学校や会社や趣味の世界や、とにかく、いろいろいろいろ、違和感がある。別に、慣れていることなので問題があるわけではないのですが、どうしても世界になじめないような気がしています。
中高生の頃なら、いわゆる「厨二病」という解釈もできるのでしょうが、(例えば自分だけが世界に選ばれた人間だ、とか、選民意識いっぱいの解釈もできるでしょう)残念ながらそういう気分ではなく、なじめないと思うだけです。正直、何を人が考えているかわからない。自分の考えていることを話しても理解してもらえている気分がしない。
例えば、家族や宗教や会社が大事などの、いろいろな価値観がわからないです。自分の遺伝子が大事だったり、死が恐怖だったりすることも、なんとなく他の人と違う感覚があります。ただ、そういうことも、ちゃんと話せる人が少ないので、違和感だけが高まってしまうのです。
そういうのは厨二病の延長線上なのかもしれませんが、どうしても自分の中で違和感がぬぐえないでいます。みなさんは、世界とつながっているように思えますか?私にはよくわからないのです。
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昨日は極楽錠前の練習でした。演奏会まであと1か月を切り、いよいよ練習も大詰めになってきました。
しかし、毎回思いますのは、練習は裏切らないってことです。
練習をやればやるだけ成果が出ます。もちろん、適切な練習が必要ではあります。
たとえば、16分音符の早いクロマティックスケールは、リコーダーにとって結構難しいですので、やはり練習は必要です。
細かく早い音符の連なりをうまく吹くには脱力が有効な練習であるのは間違いないですが、それ以前に、練習する時間は絶対必要です。
音楽的な練習ももちろん必要で、フレージング、テンポ、アーティキュレーションなど複数の要素を適切に表現できるには、やはり何回も練習する必要があります。
結局、我々アマチュアは、練習しすぎたり、練習しても上手くならないくらい練習できることはほとんどなく、練習すればするだけ向上するように(今のところは)思います。
ですので、今、まだ課題を感じている極楽錠前メンバーは、ぜひ個人練習をしていただけたらと思います。
みなさんお忙しいですし、時間もない中ですが、演奏会まで最後のあがきってことで、頑張っていきたいなと思います。
ちなみにプログラムもそろそろ大詰めですし、今回のお土産も頑張って制作中です。
プログラムは例によって16ページのボリューム!ぜひ本番でお楽しみいただければ幸いです。
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