無知の知

  • 2019.08.13 Tuesday
  • 21:52

こんばんは。極楽錠前のKすがです。

 

その昔、ソクラテスは他人と議論をしているときに「無知の知」について語った。

自分は何でも知っているわけではないが、自分は何か知らない、ということを知っている。

 

それで、「自分が知らないこと」=「無知」であるということを知っている = 「無知の知」なわけですね。

これが結構偉いということは、最近になって、しみじみ感じることができるようになりました。

 

自分自身が、謙虚に「これは知らない」と思えることはとても重要だと思います。

会社でも、役職が偉い人、年齢が上の人は「知らないと言えない」ことがあるようですが、これは周りにとっても本人にとっても不幸なことのように思います。「知らないと言えない」ことが不幸なのに、それをやめられない。周りに「知らない」という顔ができない。そんなことがあるような気がします。

なんででしょうね?

 

そういう人は、「知らない」と言うことが、まるで何かに負けた、とか、劣っているという風に思うからかもしれません。

知らない、ということは、知らないというだけです。人間、すべてのことを知ることはできませんし、人によって経験できることも違います。得手不得手もあります。だから、知らないということにそれほど負い目を感じる必要はないはずです。でも、負い目を感じてしまうのは、年長さんになってきて、役職も偉くなってくると、すべてにおいて自分が他人より勝っていると信じたくなってくるからかもしれません。

 

そうなってくると、知らないことも知っているようなふりをして会話をせざるを得なくなり、周囲はそんな本人の状況に気づいていながら、注意することもできない…。なぜなら、その人が一番嫌うのは、他人に(特に目下の人間に)「知らないこと」を指摘されること、それでまるで恥をかかされた、と思うこと、だったりします。あー、なんだか、とても面倒くさいことになっていますよね。

 

こういう心理はどこから来ているのか、やや疑問に私は思うのですが、昔から年長さんを敬うべき、とか、3歩下がって、ということわざがあるように、人間は「メンツをつぶされる」のが一番嫌なのかもしれんなーとも最近思っています。なので、逆に言えば、若手が「メンツをつぶさないで、年長さんに上手いこと教えてあげる」みたいなテクニックがあると、年長さんも喜んで乗ってくるのかなーと思います。

 

ただ、あんまりこういうテクニックばかり考えても、私は面白くはないのですがね。ぜひ、年長さんには率直に「知らない」と言えるようになることを望みたいですし、若輩者はあまり物おじしないでいろんなことが言える世の中であってほしいと思います。「知らない」と言える年長さんは、「これこそ偉い人!」と私は思いますし、逆に「知らない」と年長が言うのを聞いても馬鹿にしない若手であってほしいと思います。

 

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