違和感

  • 2019.07.30 Tuesday
  • 07:04

おはようございます。

極楽錠前のKすがです。

 

昨日、自分の中でずっと続いている感情が違和感である、ということを書きました。

いろんなことが腑に落ちない。腑に落ちるまで相手と話せることがない、ということが一番の原因かもしれません。

 

社会はいろいろな「プレ・インストール」した考え方が、OSとして存在していると思うのです。これを「プレ・インストールアプリ」としておきます。

例えば、「人に迷惑をかけてはいけない」とか「法律に従う」とか「身近な人になら甘えていい」とか、「上司には逆らえない」とか。(私はそうは思っていないことが多いですが)

ここにあげた以外にも、いろいろな「プレ・インストール」された考えがあると思うのです。「プレ・インストール」された考え方は、時代や地域や個人の経験によって異なるでしょう。おおむね、社会生活を円滑に送っている方は、多くの方が持っている「プレ・インストールアプリ」と共通であるだろうと思われます。

 

で、OSと同じで、各々の心にインストールされた「プレ・インストールアプリ」は、ほぼ意識しないで動きます。すべての実行アプリの基礎となるものですから、それ自体の意味合いをいちいち考えていては、作業が滞るのです。OSがマウスの動き方やクリック時の動作や、作業環境を整えてくれているから、私たちがすいすい仕事ができるように、「プレ・インストールアプリ」が私たちの心にインストールされているので、私たちは何かあった時にすぐに反応できる。

 

というか、反応はできるけど、考えていない場合すらあると思います。

「プレ・インストールアプリ」は便利なので、その人の考えるコスト(脳みその力)や時間を削減してくれます。また、繰り返し実行してきたことなので、「当たり前感」が伴い、そのことによって自信が持てることもメリットです。

ところが、コスト削減効果によって、「なぜ?」と問うことがなくなってしまうような気がします。「家族を大切にする」「なぜ?」「戦争はいけない」「なぜ?」「他人に迷惑をかけないように」「なぜ?」

 

確かに普段から、こんな問いをしていると、ひとつひとつの作業に時間がかかって仕方ありません。だから普通の生活の中でこういった問いを発することはなくてもかまわないのですが、では、誰かと話し合う時はどうでしょうか。「プレ・インストールアプリ」に常に従っている人は、そういった問いに対して、「それは当たり前だろう」「考えたこともなかった」「法治国家だから」という思考停止的な答えしか出てこないことに陥りそうです。

 

で、私はこういう時に、たまらない違和感を感じるのです。

自分に「プレ・インストールアプリ」がないわけではないのですが、もともと私にインストールされたアプリが他人と異なるものだったらしく、そもそもいろんなことに「なぜ?」と問いたい気持ちがあります。しかし、それ以上に、なぜ他人がある考え方に腑に落ちていなくても、その考え方に従っているのか、というのがとても不思議なのです。「当たり前だろう」というなら、なぜ当たり前か説明してほしいし、「考えたこともなかった」というなら、今から考えてほしい、と思ってしまいます。

 

自分では、なぜ、こうなっているのか、腑に落ちたいのです。

世界がどうなっているのか、人は何を考えているのか、知って腑に落ちたいのが自分のようです。

その大本(おおもと)になっているのが、他人や自分の「プレ・インストールアプリ」に対する違和感であり、それに対する他人の反応でもあります。

 

もちろん、誰かと話をしていて腑に落ちる場合もあるのはあるのですが…。頻度がどうも低いのか…。

 

 

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