他人の話を聞く

  • 2019.07.11 Thursday
  • 07:24

おはようございます。

極楽錠前のKすがです。

 

ちょっと事情があって、去年、他人の話を聞く練習をしました。

で、私は他人の話を聞くのが割とうまいということがわかりました。

とはいえ、別に完ぺきではないですし、出来の良い時も悪い時もありますが、どうやら、結構いい感じみたいです。

 

他人の話を聞くというのは、アドバイスすることでも、盛り上がることでも、判断することでもありません。

ただ、聞くだけです。しかも、本質的にどうその人が、今、感じているのかを聞くだけです。

昔あった辛いことの具体的描写を聞いても、その具体的な描写を聞いていくのではなく、その人が今抱えている

辛さを聞いていく。その気持ちを「そう思っているんだね」と聞いていくだけです。

だからといって、相手がどう言おうが、「あなたと私は関係ないし、そー思ってるんだ」ということではないです。

その人へのリスペクト、理解を持てるように聞いていくということです。

 

相手と感覚的に同じになることでもなく、相手の見方になるわけでもなく、ただ、その感情を理解すること

というのは意外とできないことのようです。

確かに、自分と同じような境遇の人の気持ちは理解しやすいし、マイナスなことを言う人にはアドバイスの

一つもしたくなる。例えば、「子供のころから親に厳しくされ、いまだに会うと辛い、会いたくない」

などという人には「もう大人なんだから、何があったか知らないけど、あなたも親にやさしくしないと」

と言いたくなる人もいるでしょう。

 

でも、聞いている人は、「何があったか知らない」のです。何があったか知らないのに、そんなに簡単に

ジャッジできるものなんでしょうか?結局、本当にその人に具体的にいろんなことを聞いたら、

とてもそんなことは言えないかもしれない(例えば、本当は親に性的虐待を受けていた、など)のに、

その人の気持ちを無視して、一般的な規範や自分の考えを押し付けているかもしれません。

 

話を聞くというのは、その人が今話したことの中で、今、その人がどう思って自分に何を言いたいのかを

ただ聞くことです。その気持ちがはっきりわからなければ、そのための質問をすればよいです。

自分のジャッジのためや、自分の考えをアドバイスするための質問は、相手にとっては意味のないことで、

相手の気持ちを受け入れないままで相手にアドバイスするというのは、もっと余計なことのような気がします。

 

人間は、物事を解決するだけでなく、感情を共有するという目的をもって話をします。

嬉しいことや悲しいことを共有することを目的に、話をするのです。まずは、その気持ちを共有し、

その人の今を理解するということが、大事なんだなーと思います。

 

その人の話をちゃんと聞くって結構、神の行為であるような気がします。

苦しいことがあった時に、神に祈る、神だけはわかってくれると思う。解決できない時も、神に

見守ってもらいたい。神は何も言わないけど、自分のことをわかってもらえる、そう思うと、人は

なんとか生きていけるときがあります。そんな神的行為が、人はできるのだな、求めているのだな

と最近実感しています。

 

 

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